東京人よ、今すぐ東京を捨てよ!!

去る24日、東京都知事選の告示があった。現職の石原候補が、さっそく第一声を発した。その中で、石原氏は「東京は日本の心臓であり頭脳でありダイナモである。今こそ、日本全体のために東京がしっかりしなければならない」というような趣旨のことを言っていた。
冗談ではない!! 今このとき、日本の心臓、ダイナモは東北である。むしろ今の東京は、東北の足を引っ張っている。今こそ東北に「血」を集めなければならないときに、東京は貴重な血を独り占めにしようとさえしているように見える。
東京人は、自分達こそ日本の中心(心臓部)に位置するグループであり、自分達が壊滅したら日本全体が危機にさらされると信じ込んでいるのだろうか。しかし、どんなに辺境の地(?)で災害が起きようが、これだけ大規模になれば、その影響は日本全体(あるいは世界全体)に及ぶということが、今回の大震災で立派に証明されたはずである。

もし仮に、今回の大震災が東北ではなく東京を直撃するタイプのものだったら、どうだったろう。今回よりももっとひどく日本全体を機能不全に陥れていただろうか? むしろ私は、避難者の動きが、東北から関東以南へ、ではなく、東京から周辺地域へ、だったという違いにすぎないのではないかと思う。 むしろ、東京の人口密度からすると、避難者という波紋の広がり方のスピードは、東北の比ではなかったのではないか? 東京のような大都市が被災した場合、周りへの負担のかけ方は尋常ではないことは、容易に想像がつく。
東京には政府機関が集中しているので、ここがやられたら、日本全体が麻痺する? それはどうだろう。今よりましな新政府がさっそく立ち上がるかもしれないではないか? むしろ中央政府などなくても、地方自治体レベルで日本は充分健全に機能するかも・・・。

もっと確実に言えることは、「都市は田舎よりも災害に対して脆い」ということだ。それは阪神・淡路大震災のときに証明済みのはずだ。都市は、便利さや娯楽や刺激や情報の多さといった快楽と引き換えに、安全・安心を手放したのである。その代償は、メリットに比べて桁違いに大きい。政府が盛んに、物資の買い占め、買い溜めに走らないよう呼びかけているが、無理だろう。都市の住人であればあるほど、つまり自給度が低い場所に住んでいればいるほど、危機や不足に対する耐性は低くなり、不安度は増す。都市は、ただそこにいるだけで、人に不安やストレスを与える。都市にいるかぎり、たとえ物理的な動きがそうでなかったとしても、人々の心のベクトルは内向きになり、周辺のことを慮る余裕はなくなる。都市を出ない限り、この得体のしれない不安やパニックに陥りやすい状態から逃れることはできない。

たとえば、狭い鶏舎で大量の鶏をひしめき合うように飼っていたとしよう。鶏たちはとたんにストレスを溜め、免疫力は下がり、伝染病が発生すれば、とたんに蔓延して全滅となる。大都市の生活とは、まさにこの狭い鶏舎の中の鶏状態だ。一方、鶏を広い場所で放し飼いにすると、ストレスを感じることなく、高い免疫力を維持し、万が一伝染病が発生しても、鶏同士が常に一定の距離を保っているため、自然に蔓延を防ぐことができる。放し飼いにすると卵の生産性が落ちる、という通念があるようだが、それはウソのようだ。疑う向きは、高橋丈夫氏の「生命農法」を参照されたし。
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もともと、あまりにも密集しすぎている大都市・東京は、災害がなかったとしても、常に大量の「血」を必要とする怪物なのである。そもそも、福島にこれだけ大規模な原子力施設を建設する必要があったのは、東京の電力需要をまかなうためではなかったか?
東京レベルの大都市を周辺地域が支えるために資源を充分に供給するに足る限界は、すでに超えてしまっていると、私は見ている。大都市集中型の文明は、すでに破綻していると言ってもいい。一か所に人が集中すればするほど、食糧やエネルギーの自給率は下がり、その巨大な人口を支えるために、周辺から大量の資源を送り込まなければならなくなる。都市の「砂上の楼閣」のような繁栄は、地方の犠牲(あるいは貢献?)の上に成り立っている。
消費経済だけを考えるなら、需要の多い都市に物資を集めれば、経済効率は上がるのかもしれない。そのようにして都市はどんどん膨れ上がっていく。そうした大量生産・大量消費を豊かさと勘違いした者たちが、さらに都市を目指し、人口増加に拍車をかける。しかし、何らかの理由で都市への物流が途絶えたら、とたんにパニックが起きる。都市の便利さや魅力は、すでに過去のものだ。いわばそれは「風評」であり、幻想であり、それ自体が「都市伝説」の類に成り下がっている。

もし、大都市直撃型の災害が起こったら、そのダメージを最小限に食い止めるためには、「そこに人がいない」という状態を作り出す以外にはない。阪神・淡路の教訓から、東京はビルや大型施設の耐震補強を進めてきたから、大丈夫だ? そんなもの気休め以下にすぎない。大津波が来たら、耐震補強もへったくれもない。建物が助かっても、人が助からなければ、何の意味もないのだ。
東京人よ、いよいよもって地方の世話にならなければ、自分の尻も拭けなくなるような事態になる前に、東京を捨てよ!! そして地方に分散せよ。エネルギーの需給バランスもその方が安定するはずである。もちろん心のバランスも。東京がもぬけのからとなったら、現在の電力不足による計画停電なども、まったく必要なくなると、私は思っている。東京は今まで世話になってきた周辺地域に、今こそ恩返しをするときだ。
今ならまだ間に合う。余裕をもって準備して「東京脱出」ができるだろう。これ以上パニックが深刻になってからでは、手遅れだ。それこそ、戒厳令でも布かれたら、出たくても出られなくなる。

東京がもぬけのからとなり、人も物資も情報も、すべてが東京の頭越しに行きかうようになって初めて、日本に真の安心・安全が訪れるように思う。現実問題として、東京のすべての住人が移動するというのは無理にしろ、半分でも十分に効果はあるはずだ。首都だからといって、大きい必要はない。東京は「小さい首都」を目指した方がいい。必要最低限の機能だけを残して、ただ憧れだから、便利だから、刺激や情報が多いから、といった理由だけで東京に住んでいる人たちは、さっさと東京に見切りをつけよう。「東京に暮らす」というのは「ダサい」ことなのだという風潮を作ろう。

もちろん、いずれは西日本の大都市にも、そうした人口流出が必要になるだろう。そして各都道府県の人口バランスがとれたとき、日本全体でのエネルギー消費量は確実に下がると、私は見ている。ましてや、今回の大災害の教訓から、今後日本がもし「脱原発」や「脱大量消費文明」、「国内(あるいは自治体レベルでの)自給率の向上」といった新しい国づくりを目指すなら、なおのこと大都市集中型の文明から卒業する必要がある。そのためには、もちろん各地方がどんどん人を誘致できるような魅力的な場所となる必要がある。そのように地方が競争力をつけてくれば、日本全体も活性化するはずだ。この「地方分散化」により、私は日本全体の生産性(GNPやGDP)は向上すると予想している。