今こそ「SOS from Fukushima」を発信すべし!!

■「Appeal for Fukushima」で国連を動かす?
 「Appeal for Fukushima」というサイトがある。→
http://www.appealforfukushima.com/ja/

 フランスのCecile Monnier(セシール・モニエ?)なる人物が管理運営しているようだが、このサイトで、以下のような趣旨において世界中から署名を集めている。


『世界人権宣言では以下のように述べています :

第1条: すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない.
第3条: すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する.

これを考慮し、日本の人民とその他の世界を危険に晒している福島第一原子力発電所の現状を踏まえ、また、東京電力と日本政府がこの状況を管理する能力に欠けていることに鑑みて,

地球の住民たる我々は、国際連合(UN)、世界保健機関(WHO)、およびすべての国際機関と政府に対し、つぎのことを懇願します :
1. 国連の委任により、福島第一原子力発電所とその事故の帰結の管理を引き継ぐ国際的・学際的チームを確立すること.

2. 日本の人々を守るために、どんなコストも辞さずにあらゆる手段を講じる責任を持つ対策チームを国連内に設置すること.

我々は、生まれながらにして自由かつ平等である人間であり、理性と良識に基づき、同胞の精神をもって行動します。我々は、日本の同胞たちと我々のこどもたちの命、自由、および安全を心配しています. 』


 このサイトに署名するか否かはさておき、このようなサイトの出現を受けて感じることが二つある。
 ひとつは、これは本来なら私たち日本人(あるいは福島県民を中心とする被災者)が世界に向けて発信し嘆願すべきことではないか、ということだ。つまり、本来なら私たちがとっくの昔にやっておくべきことを、私たちがあまりにも後手後手に回っているために、業を煮やして代わりにやってくれている、ということだ。
 もうひとつは、私たち日本人の視線だけでなく、国際社会の目からも、日本政府や東電の頼りなさが明白ならば、国連その他の既存の国際機関ではないにしろ、日本政府や東電ではない第三者機関(事態収束のためだけに暫定的に立ち上げられた機関でも何でもいい)に原発事故の収束を任せるべき時がきているのかもしれない、ということだ。

■国際的な「ブラッドシフト」を!!
 おそらく、諸外国、特にこの原発事故で、実際に放射能被害を被っている諸外国(すでに、アメリカ西海岸でも大気中からプルトニウム微粒子が発見されているらしい※)からは、なぜ当事者である日本人は黙って大人しく政府や東電の言うことを聞いているのか、なぜ自ら声を挙げることもなく、ただ当局の言いなりになっているのか、いくらなんでも従順すぎるだろう、と映っているかもしれない。フランスの一個人であれ何であれ、日本人がそのつもりなら、一種の自衛手段として、自ら国際社会にアピールするしかない、と思っても不思議はないだろう。

http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-610.html

 原発事故を受けてのこうした国際社会からのリアクションは、与野党間の政権争いや、やれ原発反対か賛成かといった世論の動きや、今年の夏の電力不足だのといった内向きの動向に対する痛烈な批判とも受け取れる。「何をああだこうだ騒いでいるのか。それはとりあえず後回しだろ。今は、原発事故の収束が最優先事項のはずだ。原発事故が収束していない現状で、今後の国のエネルギー政策も何もないもんだ。なぜ国全体が一丸となって最優先事項に集中しないのか。そうしてもらわないと、周りがいい迷惑なんだ」ということだろう。

 私は、このブログを始めるにあたり「ブラッドシフト」というスローガンのもとに、今こそ日本中の「血」を福島に集めるべきだと主張した。それが何よりも増して最優先だと。しかし、それすらうまくいかない(あるいは、血は集まってはいるものの、絶対量が足りない)のだとしたら、なりふりかまわず世界中からの「ブラッドシフト」を嘆願すべきときなのかもしれない。この際、へんな意地や虚勢を張っている場合でもないだろう。情けない話だが、背に腹は代えられない。

原発事故の収束を本当に任せられるのは誰なのか?
 上記の宣言文の中には「東京電力と日本政府がこの状況を管理する能力に欠けている」とあるが、能力がないのではなく、資格がないのだと思う。客観的な立場で冷静に事態の収束に向けて努力を集中するには、東電も政府も、そして福島県民でさえ(どだい、県知事からして)、あまりにも利害が絡みすぎている。そもそもの原発事故の下地を作ってきた人間たちが、何の反省も自己批判もなしに、そのまま事故収束の当事者になっていること自体が本来ならすでにNGのはずだ。信じられないようなイージーミスが続発している裏には、事故を招いたのと同じ方法論で事故を収束させようとしている事情があると私は見ている。「安全神話」を作り上げてきたその同じ手法で、すでに崩壊しているその「神話」の本丸を立て直せると、誰が信じるだろうか?
それでも、牛歩ながらも収束に向けて歩を進めているならいざ知らず、事態をより深刻なものにしているとしか思えないような現状は、イエローカード(警告)が累積に累積して、とっくの昔にレッドカード(即刻退場)のはずだ。
 専門家からの「地下ダム」による放射能拡散防止策の提案に対する東電の言い逃れ→
http://mainichi.jp/select/seiji/fuchisou/news/20110620ddm002070081000c.html
を見ても、自社提案を可決させるために株主総会で使った東電の姑息な手段→
http://gendai.net/articles/view/syakai/131246
を見ても、東電という企業が、相変わらず人命よりも自社の利益や組織の延命を優先していることは明らかで、この体質は矯正しようがないのも明らかだ。いったん解体して、トップの首をすべてすげ替え、徹底的な構造改革でもしない限り、何も変わらないと見るべきだ。これは、企業の組織改革を考える上での基本セオリーである。
 そんな企業およびそんな企業を容認(擁護?)している政府が、相変わらず二人三脚で原発事故の収束にあたっているのだということを、私たちは肝に銘じなければならない。それでいいのか? フランス発の件のサイトは、そんなことを私たちに投げかけてもいる。

 誤解のないように付け加えておくが、利害抜きで人事を尽くそうとする人たちがいないわけではない。しかし、利害当事者たちが彼らの足を引っ張っているとしか思えない。
 たとえば、北海道大学医学部非常勤講師(元放射線医学総合研究所研究員)の木村真三氏(放射線衛生学)は、福島原発事故発生直後、当時所属していた独立行政法人からの「独自に計測をしに行かないように」という圧力に対し、即刻辞表を提出。 3/15日から福島に乗り込み、職と命を賭け、若干の専門的協力者を得つつ現地踏査研究を行い、国の発表とは大きく異なる汚染地図を作成した。→
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/10712

 また、金沢大学の太田富久教授は、汚染水に溶けた放射性物質を捕まえて沈殿させる性質を持つ、天然の鉱物と化学物質を混合した粉末を開発した。この粉末の除染能力は、現在福島第一原発の汚染水循環処理システムに使用されているアレバ社の除染物質の20倍だという。
太田教授は、この放射性物質除去粉末の開発を完了した際、使用を提言するため、さっそく東電と政府に連絡したが、どちらからもまだ返答は得られておらず、無返答の理由もはっきりしていないという。→
http://jp.wsj.com/japanrealtime/2011/04/22/%E5%8C%96%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%81%8C%E3%80%8C%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%AE%E6%B1%9A%E6%9F%93%E6%B0%B4%E3%82%92%E6%B5%84%E5%8C%96%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E7%B2%89%E6%9C%AB%E3%82%92/

 こうした専門知識も技術も、そして何より心意気のある人たちを積極的に登用し、彼らの活躍を妨げるのでなく、客観的に支援し管理できるのは、やはり原発やエネルギー政策に関して利害のない第三者機関なのかもしれない。

 真っ先に声を挙げるべきである福島県民を中心とする実際の放射能被害者(今やこの中には私自身も含まれる)が、相変わらず声をひそめているのは、東電や政府に対する利害関係もあるにはあるのだろうが、それよりも、声を挙げたいのは挙げたいのだが、そのやり方が分からない、という次元に留まっているからだと解釈したい。誰に対して何をどのようにアピールしたらよいのか、見当がつかないのだろう。日本人は、為政者や権力者に対して自らを主張するということに慣れていないのかもしれない。それは伝統的な国民性なのか、それともそれだけ巧妙に抑えつけられていたということなのか。
 「Appeal for Fukushima」は、そうした日本人の代わりに、まさに福島の代わりにアピールしましょう、という意図だろうし、専門家でもなく政治的な力もないような一般人でも、自分たちの窮状を広く世界にアピールする方法はあるのだ、という一例を示してくれているように思う。
しかし、自分たちの現状突破を、フランス人に任せておくわけにはいかない。いいヒントをもらったのだから、ここはひとつ「SOS from Japan」を発信すべきときかもしれない。特に福島県人よ、あなたたちだ!! 「SOS from Fukushima」の方がアピール度が増すことは間違いないのだから。