ブラッドシフト作戦・追記

今、日本でいちばん血を送り込む必要があるのは、おそらく福島第一原発で起きている事態を何とか修復しようと、危険を顧みず努力してくれている人たちに対してだろう。ここで起こることが、日本全体の今後の運命を左右しかねないからだ。ここで今最も必要とされる「血」は、おそらく専門技術を有するプロフェッショナルたちと、彼らが必要とする道具だろう。それは充分足りているのだろうか。遠巻きに見ていて、気になるところだ。門外漢の私たちには、彼らに今必要なものを、スーパーで買ってきて、段ボールに詰めて宅配便で送るといったわけにはいかない。彼らに対し、一般の私たちが今できることは、祈ることしかない。時の首相が言ったように「日本を救うのは、あなた達しかいないのだ」とエールを送ることしかない。
危険を承知で、あるいは安全であると信じ込んで、原子力利用を推進してきた人たちの責任は、あまりにも大きい。これからきっちりと彼らの責任が追及されるべきだろう。しかしそれは後回しだ。とにかく今は何が何でも事態を収束させてもらわなければならない。これは、日本のみならず、人類全体の存亡にかかわることでもある。

次に多くの血を必要としているところは、もちろん直接の被災地や、今被災者が避難している場所である。ここには、人、物、エネルギー、情報といった「血」を大量に輸血する必要がある。その方法を、私たちはすでに阪神・淡路や新潟の震災で学んでいるはずだ。災害の規模は桁外れに違うかもしれないが、セオリーは変わらないはずだ。
阪神・淡路の震災が起こったとき、地元のボランティアとして中心的な働きをしていたある女性と知り合いだった私は、そのツテで、たまたま仕事で近くまで行った折りに、被災後一カ月たった西宮を訪ねることができた。彼女によると、各地から支援物資が届けられるのはいいが、そうした物資を開封し、振り分けて必要な場所に送る人員が圧倒的に足りない。さらに、たとえば自分が着なくなった古着などを段ボールに詰め込んで送ってくるような人がいる。しかし本人にとって着なくなった服は、被災者にとっても単なるゴミなのだ。その結果、未開封の段ボールが、体育館のようなところに山積みとなり、被災が一段落した後も、未開封のまま巨大なゴミと化している、という風景が見受けられるという。
震災後ちょうど一年が経ったときに、西宮を再訪する機会があった。当時瓦礫の山だった町並みはずいぶん奇麗に片付けられていると感じた。ところが彼女に言わせると、見えないところにゴミを押し籠めたにすぎないという。震災後一年が経過した後も、現場のゴミ問題は解消されていなかったわけだ。
善意があだとならぬよう、自分にとって不要なものをわざわざ輸送費をかけて被災地や避難先に送りつけるような事態にならぬよう、心がけたいものである。

 さて、わが町那須にも、福島あたりからすでに多くの被災者が避難してきている。とりあえずは、道の駅だのスポーツセンターだのに避難していただいているが、那須という場所の性格上、空いている別荘などが沢山あり、普段ほとんど使っていないオーナーの中には、被災者の方々にどうぞ使ってもらってください、と申し出る人もいて、当事者同士の直接の話し合いのもと、入居が次々に成立しているという話を聞く。当然の成り行きだろうし、予想していたことでもある。
我が家も、狭い家ではあるし、被災家屋でもあるが、困っている人のために開放することにやぶさかではない。しかし、単に被災者と支援者、ケアされる側とする側といった関係性だけでは、もったいない気がする。もてなしの心は不要だと言っているのではない。しかし、もし相手を置かれている境遇だけで見るとしたら、自分にとって不要なものを処分ついでに送りつけるといった発想にもつながりかねない。
ここはやはり人間同士、対等の付き合いといきたいし、むしろ一時でも運命を共にする仲間が、向こうからわざわざやってきてくれたというような発想でいきたいものだ。たとえば、被災者の受け入れ先が過疎化に悩む自治体だとするなら、普段は集めようとしてもなかなか集まらない転入候補者が、大挙してやってきてくれたと思えば、歓待しようという気にもなるだろうし、積極的に受け入れようという気にもなるだろう。そして、どんな人材がやってきたのだろうかと、個人のキャラクターや個性を見ようとするに違いない。実際、避難してきた人の中には、那須が気に入って、定住を希望する人も出てきていると聞く。そこには、お互いの境遇や立場を超えた、幸運な出会いが待っているようにも思う。そこにこそ、「ブラッドシフト」の最終段階である「血の交流」があるだろう。