風評被害は政府が作り出している

 政府は、今回の原発事故で、現在どのくらいの放射能が放出され、大気や土壌や水をどのくらい汚染したか、あるいは将来にわたって、その汚染がどのくらい広がる(あるいは収束する)見通しなのか、といった具体的な情報を開示しなくなって(あるいは、開示が後手に回って)きた。その代りに「暫定基準値を超える値」とか「すぐには健康に影響のない程度」といった表現をことさら強調しているかに見える。これは、データではなく判断であり私見である。
特に、事態の収束に関する体制が東電中心から政府と東電の統合体制に移ってからは、なおのこと情報の隠蔽体質が色濃く出ている印象を持つ。国際社会もそのことに懸念と批判を寄せ始めている。

この状態が続いたら、どういうことになるのか。原発事故の収拾の見通しも立たず、放射能も垂れ流し状態が続いている中、政府の情報開示も滞っているとしたら、国際社会も座視しているわけにはいかなくなるだろう。極端な話、他国(たとえばアメリカ)や国連などの軍事介入もあり得ない話ではない。そうなれば、日本は完全な戒厳令下になるだろう。「ネット規制法案」(コンピュータ監視法案)が閣議決定されるなど、言論統制の動きもあり、戦時下の異臭が漂い始めている中、そういうシナリオは、何としても回避しなければならない。

極端なシナリオはともかく、今確実に進行しているシナリオは、政府が情報を出し渋ることによって起こる「風評被害」という名の「虚構」だ。
政府は今、公共広告機構を通して、「デマに惑わされないでください」と国民に呼びかけている。しかし、国民がデマに惑わされるような原因を作り出しているのは、当の政府である。デマとは、根拠のないウワサのことだが、デマが流れるのには根拠がある。
あなたはどうだろう。自分で判断できる具体的な材料が何も与えられず、ただ他人が判断した結果だけを知らされたとしたら、それで不安が消え、安心できるだろうか。中身の見えないブラックボックスを差し出され、「危険だというのはデマである。安全だから手を突っ込んでみろ」と言われて、恐怖や不安を感じることなく、手を突っ込めるだろうか。そんな状況の中で、ある日突然、「やっぱり危険でした。この箱に近づかないでください」と避難勧告だけを受け、財産も将来も奪われるような形で故里を後にしなければならないとしたら、パニックにならないだろうか。この状態が続けば、デマは流れ続けるし、人はデマに惑わされ続けるだろう。
一方、たとえ厳しい内容でも、きちんとした数値と、それが意味するところを伝えられたとしたら、そのことでパニックになるだろうか。それは、ブラックボックスの中身が開示され、その中身の危険性とともに、その危険に対する対処法も示されたことを意味しないだろうか。激しい痛みを伴うかもしれないが、パニックは収まり、冷静な対処がそこから始まるはずだ。中身が開示されないまま、対処法だけを押し付けられても、人は動かない。
日本全体が今、恒常的なパニック状態にあって、冷静な判断ができずにデマに惑わされているとしたら、その原因を作り出しているのは、「落ち着いて、冷静に・・・」と国民に呼びかけている当の政府である。これを「マッチポンプ」という。つまり、自らマッチで火をつけておきながら、その火をポンプ(消火栓)で消そうとしているのだ。これは、たとえば製薬会社が、薬を売るために病気を作り出す(あるいは、薬に毒を混入させる)のと同じである。

私が今いちばん危惧している「マッチポンプ」は、「風評被害」というものの言い方だ。「風評」は確かにあるだろう。しかし「風評被害」となると、「ちょっと待った!」と言わざるを得ない。もしこの“概念”が、「安全であるにも関わらず、被災地産だからという理由だけで買い控えるなら、それは風評被害の“加害者”になることだ」というところまでいってしまうと、消費者の権利の侵害になってしまう。消費者には「疑わしいものは、購買を拒否する」権利があるはずだ。安全なのか危険なのかはっきりしないために、あまり買いたくないものを無理して買うことは、被災者を支援したことにはならないし、経済を活性化したことにもならない。
昨日、政府発案の復興委員会に新しくメンバーとして選出された地域活性化が専門とかいう経済人がテレビに登場して、「阪神淡路のときは、大阪の人間が、消費を控えるのでなく、神戸の復興のためにということで、大いに金を使ってくれたので、神戸は救われた」といった意味の発言をしていた。もし今回の災害が地震津波だけによるものだったとしたら、この理屈は成り立つかもしれない。しかし放射能災害は、まったく性質が異なる。向き合うべき相手の顔がまったく見えないのだ。その上に、判断すべき情報もろくに開示されないときたら、(ヒビの入った)石橋を叩いて渡る(あるいはあえて渡らず)という態度にならざるを得ない。そういう国民感情を「風評被害の加害者」という方向に結び付けようとするなら、それは逆の意味で「風評被害」となる。
「風評」も「風評被害」も、実は政府が勝手に演じている「マッチポンプ」という自作自演の狂言にすぎない。私たちが惑わされてはいけないのは「風評」ではなく、この「マッチポンプ」の方だ。
もし本当に「風評被害」というものがあるとしたら、それは生産物に対してではなく、むしろ人間に対してである。福島県によると、「首都圏のガソリンスタンドで『福島ナンバー』お断りの張り紙を見た」 とか「レストランで入店を拒否された」などの相談が相次いでいるという。これは「風評被害」というよりも、「放射能ハラスメント」と呼ぶべきだろう。これこそが、私たちの慎むべきものだ。