「想定外」とは何を想定していたのか

 さる筋から、信じ難い驚くべき話を聞いた。それは、3月12日に福島第一原発の一号機が水素爆発を起こす前に、すでに現場で起こっていたことである。いや、もっと正確に言うなら、「起こっていた」ことではなく、起こるべきでありながら「起こっていなかった」ことである。
 17日には、自衛隊のヘリが三号機、四号機への放水作業を行った。ニュースによると、自衛隊は前日の16日にも放水を試みたが、現場での放射線量の数値が高かったため断念していた、ということになっている。しかし16日に放水ができなかったのは、本当に放射線量の問題か。(そもそも、バケツで水を汲んで、巨大なプールめがけて上空から水を落とす、といったやり方が功を奏すると、誰がまともに信じただろうか。)この「起こっていなかった」ことと、自衛隊による放水作業の遅れとの関係は?
 私が聞いた話は、現時点では二次情報・三次情報の類で、裏を取ることはできない。しかし、いずれは明るみに出されるべき内容だ。東電が原子力開発の名のもとにやってきたこと、そして今回の事故につながる一連の事柄は、人命を無視した重罪に値する暴挙だと感じてきたが、私の聞いた話が真実だとするなら、東電の暴挙を決定づける証拠たり得る。しかし残念ながら今はその中身まで書くことはできない。

 東電の勝俣会長は、事故後初の記者会見で初動の遅れを指摘された際、「まずさは感じなかった」と述べ、廃炉になることをおそれて、海水の注入をためらったのではないかとの質問にも「そういうことはない。自分も意思決定の場に関わっていたから確かだ」という意味の発言をしている。
 百歩譲って、勝俣会長のこの発言にウソはないとしておこう。そうだとしても、今回の大地震・大津波の規模が想定外だったということは、東電側が正式に認めていることだ。ならば、福島原発建設の際に、どの程度の災害を想定していたのか、その理由は何か、それは正当な理由による正当な想定だったのか、その想定が、設計の上でも実際の建設時にも、ボルト一本に至るまで確実に実現されたのか、その詳細に至るまで、ひとつひとつが情報開示され、検証されるべきだろう。その上で、原子力のさらなる推進なのか、それとも廃止なのかを議論すべきであるし、このプロセスを踏まずして、真の復興、真の未来構想などあり得ない。