避難所素描part2

 福島県田村郡三春町。町の名は、この時期、梅と桃と桜がいっぺんに咲くところからきている。「滝桜」の名で知られる桜の巨木は有名で、文字通り、滝が流れるように花をつける。このシーズンには、花見の客で渋滞になるほどの賑わいを見せる名所だ。
 福島原発から40キロほどのところだが、奇跡的に放射能数値が低い。会津あたりと同じぐらいだそうだ。現地の人の話では、風向きと地形的な理由ではないかという。原発と町との間に大滝根山があり、それが天然の城壁になっているのではないかとのこと。大滝根山といえば、「フクイチ」の様子を監視するために望遠レンズのカメラが頂上に据え付けられている山だ。私たちもそのカメラの映像をニュースで何度も目にしている。
 三春町はそうした立地条件から、原発に向かう自衛隊の前線基地にもなっている。と同時に、20キロ圏内、30キロ圏内からの最短の避難区域ともなっている。地元の知り合いの案内で、そのひとつの避難所(廃校になった小学校)を訪れ、ボランティアのリーダー格の人に話を伺う機会を得た。その人は、他県から単独で現場に入り、長期的に滞在しながら活動しているという。
 三春町には、飯館村や都路村といった近隣地域からの避難者が多い。飯館村といえば、福島第一原発の一号機が水素爆発を起こしたときに拡散した放射能が、当時の風向きと降雨によって集中的に降り注いで、高濃度汚染地域(いわゆる「ホットスポット」)となってしまった不運な場所だ。さらに不運なことに、飯館村や都路村はスローライフ、グリーンライフの実践モデル地区のようになっていたという。そうしたライフスタイルに共感して、定年を迎えたある老夫婦は、余生をこの地区で暮らそうと都心の住まいを売り払って引っ越した、その矢先に今回の原発事故騒ぎとなり、新築の家にたいして住まないうちに避難せざるを得なくなり、戻れるめどは立っていない。

 この避難所で驚かされるのは、ほとんどの避難者が高齢者だということ。避難の当初は若い人や子どももいたが、むしろ幼い子どもを持つ夫婦などは、いつまでも避難所には居られないということで、近くにアパートを借りたりなどして、出て行ったという。本来ならお年寄りも一緒に引っ越したいところだろうが、狭いアパートに大人数では窮屈だろうと、お年寄りは遠慮して避難所に残る例が多いという。いくら若夫婦と孫のためとはいえ、雑居状態の避難所に取り残されるのは、不安で寂しく辛いはずだ。ところが、どのお年寄りも我慢強く耐えているという。逆に感情を押し殺し、発散することもできないでいるため、高ストレス状態であることは疑いようがない。耐えきれずに、建物の裏でひっそりと泣いているお年寄りの姿もあるという。

 高齢者が中心ではあるものの、まだ元気のある中年層がいないわけではない。こちらの取材に応じてくれたその人たちの話では、一時帰宅で荷物を取りに行ったはいいが、車を規制区域の外に出そうとすると、検問に引っかかり、放射能検査を受けるとたいていの車両が規定値オーバーで、その場で没収されるという。没収された車両は廃棄処分にされるが、その処分料は自己負担だという。洗車すれば放射能検査をパスできるかと思って水で洗ってみたが、水道の水自体が汚染されているため、かえって数値が高くなってしまった、という例もあるらしい。
 仕事も奪われ、家にも帰れず、車も没収されてしまったら、動きの取りようがない。この先どうやって生きていったらいいのか・・・。皆で東電に掛け合いに行ったが、先方はただただ「申し訳ありません」と頭を下げるだけで、具体的な方策はいっさい出てこなかったという。今月末には一時金として東電から100万円、国から40万円が支給されるらしいが、たったの140万円で、どうやって生活を立て直せというのか。
 こうした事情は、この避難所だけのことではないかもしれない。ところが、ある事情通からの情報によると、同じエリアからの避難者の中には、VIP待遇とも言えるような扱いを受けている人もいるという。詳しい話は差し控えるが、そうした待遇は、たまたまというのではなく、意図的になされたという含みがある。いずれにしろ、避難者の「待遇格差」ともいうべきこの事態は、「補償格差」の問題とも相まって、今後全体的な問題へと発展しかねないだろう。

 この地区では、「SK」という公的機関が避難所や支援物資、ボランティアの活動などを仕切っているという。ところがこの組織がまるきりの「お役所仕事」のため、現場の動きが滞っていると、ボランティア・リーダーは嘆く。あるとき、緊急の容態でただちに入院治療が必要だと思われる患者が発生したため、リーダーがSKの事務所に掛け合ったが、「今忙しくて手が空かない」とか、「自分たちの管轄ではない」といった理由から、まったく動こうとしなかったという。こうした事情は日常茶飯事。リーダーがたまらず行政に嘆願書や報告書を挙げると、ようやく少し動きが改善されてきたという。
 今回の原発事故の原因も、大雑把に言えば極端な「お役所仕事」の結果とも言えるだろう。その事故の後始末をしているのも、これまた動きの鈍い「お役所仕事」ということのようだ。この国の公的システムはやはり奇態にねじくれている。その出口は、いまだに見えない。