震災後雑感

 反原発の気骨ある論客、京都大学原子炉実験所助教小出裕章氏が、23日、参議院行政監視委員会参考人として呼ばれ、話をしている様子をYouTubeで見た。
http://www.youtube.com/watch?v=8WNFcNOkzIY&feature=related

 その話の最後に、小出氏はガンジーの言葉を引用していた。
 ガンジーの墓の碑文には、「7つの社会的大罪」として、こう書いてあるそうだ。

1.理念なき政治(Politics without Principles)
2.労働なき富(Wealth without Work)
3.良心なき快楽(Pleasure without Conscience)
4.人格なき学識(Knowledge without Character)
5.道徳なき商業(Commerce without Morality)
6.人間性なき科学(Science without Humanity)
7.献身なき信仰(Worship without Sacrifice)

 3.12に、政府が原子炉への海水注入を「止めろ」と言ったとか言わないとかの応酬があったが、国を運営したり緊急事態に対処したりする立場の人間たちの、そうしたドタバタ具合を見聞きするにつけ、「理念なき政治」に守られた人格なき学識経験者たちが人間性なき科学を実践し、その裏付けのもとに行われた道徳なき商業が労働なき富を生み出し、同時に今回の事故をも生み出し、さらにその規模をむやみに大きくしていると思えてならない。
 私たち国民は、それに対して有効な自衛手段を持ち得るのだろうか。そもそも自分たちを護ってくれるはずの国家から、自分たちを自衛しなければならないとは、それ自体がすでに緊急事態である。「在フランスNPO団体・ACRO/市民の放射能測定団体」からの「国に殺されない方法を、遠方から支援しています」というメッセージが重くのしかかってくる。

 前出の参議院行政監視委員会に同じく参考人として呼ばれたソフトバンク社長・孫正義氏の発言から、気になるものを二つばかり挙げておく。

「政府が発表している放射線の測定数値はγ線の線量だけである。本当に怖い内部被爆に関係するα線β線の線量は発表されていない。自分が携帯している線量計はすべての線量を測れるタイプだが、それで測ると、政府発表のほぼ倍の数値が出る。すべての線量が測れるタイプの線量計原発事故以来、税関で500台止められたままになっている」

風力発電における環境アセスメントでは3年間調査が行われているが、突破すべき最後の関門(門番役)は、何と原子力安全・保安院がすることになっているという。なぜ風力のアセスメントに原子力の関係機関が顔を出すのか? 代替エネルギーの開発を遅らせよう遅らせようと画策しているとしか思えない」

 同じく同会に参考人として呼ばれた神戸大学名誉教授の石橋克彦氏(地震学)の発言。これは同氏が日ごろから言っていることだろうが、この地震大国の日本で、大都市への一極集中はあまりにもリスクが高すぎるので、分散すべきだということ。
 私も東京の人口を減らすべきだと一貫して主張してきた。緊急時のリスク軽減の立場からも、省エネの観点からも、あるいは公害などの弊害を減らし、国全体の生産性を高める意味からも、特定の都市にあらゆるものが集中しすぎているのは、「良心なき快楽」のためであり、まったく道理に合わない。
 過密な都市部から人をあぶり出すために、都市部の住民税や地方税などを割高にし、逆に地方の過疎地の税金を安くするなどの税制措置も、今後必要になってくるのではないかと思う。ただし、地方をもっと安全で住みやすく魅力的な場所にする努力も同時に行っていく必要があることを付け加えておきたい。

デンマーク人精神を日本人に移植する

 3月11日の午後2時46分以来、日本中の時計が止まっている状態かもしれない。しかし、この時計はむやみに動かしてはならない。今は、まず立ち止まり、自分たちの足元をよく確かめ、今までその足先はどちらの方へ向いていたのか、それが本当にこれからも向かうべき方向なのか、そうでないなら、どちらの方向へ足を向けて新たな一歩を踏み出すべきなのかを慎重に考える時だ。この時間をないがしろにしてはならない。
 この「立ち止まって、よく考える」という行為は、簡単なようでなかなか難しい。まず、立ち止まって物思いにふけっているような人間は、傍から見ると、何も行動しない役立たずのように見えるかもしれない。もうひとつ、特に日本人は自分の頭で考えることに慣れていない(考える力がないのではない)ということもあるかもしれない。だから今は、そうした社会的偏見や、教育(自己教育も含め)の不毛さといったものこそを是正すべき時なのかもしれない。

 デンマークでは、フォルケホイスコーレ(国民高等学校)という自由な教育方針の学校の存在によって、国民ひとりひとりが自分で考える力を養い、その結果「エネルギー政策を民衆が決める権利」に基づいて、再生可能エネルギー優先の方向へと大きな国家的舵取りが可能となり、エネルギー自給率100パーセントを達成できた。
 日本がデンマークのこのようなエネルギー政策を手本とし追随するためには、どうしたらよいか。日本人が原子力マインドコントロールから脱却し、デンマーク人の自立心と粘り強さを見習い、自分で考え、自分で決めるという精神を身につけるには、どうしたらよいか。

 ひとつ例題を用いて、それをもとに思考実験をしてみよう。
 たとえば、次のような情報が提示されたとする。

「日本の電力は、現在約3割を原子力に依存している」

 最近よく聞くものの言い方だ。普段なら、「ふ〜ん、そうなんだ」ぐらいの感想でやりすごしてしまうような、単なるひとつの統計的データかもしれない。
そこでまず「ちょっと待てよ」精神を発揮する。そして、本当にそうなのか疑ってみる。何が起きているのか、何が問題になっているのか、この情報の背景にどのような事情があるのか、を考えてみる。
「電力の3割を原子力に依存していると言うが、他の7割は何に依存しているのだろう?」
「その3割の依存は、いつどのような経緯でそうなり、今後はどうなっていくのか?」
そして、問題の尻尾をがっちり掴んで離さないようにする。
この命題のポイント(尻尾)は、「依存」という言葉だろう。

 「依存」と言うからには、「子どもは親に依存している」という具合に、「それに頼らなければ生きられない」といった含みがあるはずだが、私たちは本当に3割分だけ原子力に頼らなければ生きられないのか?
 「子どもは確かに親に依存しなければ生きられないかもしれないが、何かの事情で親がいなくなったら、子どもは生きられないのか。他に頼る対象があれば、困難を伴うかもしれないが、生きられないことはないはずだ」
この論法を、原子力にあてはめてみよう。
「日本の電力は確かに現在3割分原子力に依存しなければならないかもしれないが、何かの事情で原子力がなくなったら、私たちは生きられないのか。他に頼る対象があれば、困難を伴うかもしれないが、生きられないことはないはずだ」

 ところで、今回の原発事故以前には、原子力依存度を今後5割にしようという動きもあった(先日、菅首相が白紙見直しを宣言したエネルギー基本計画では、2030年までに総電力に占める原子力の割合を5割まで高める、としていた)が、そうなると「選択的依存」であって、「それに頼らないと生きられない」という消極的依存ではなく、「あえてそれに、より多く頼る方向へ持って行こう」という積極的意思が働いていることを意味している。これは、国民が意図したことか、それとも誰かが何かの理由でそういう方向へあえて持って行ったのか?
 いったい、私たちは「依存している」のだろうか、それとも「依存させられている」のだろうか?

 それから、この「3割(30パーセント)」という数値である。この割合が多いか少ないか(それともちょうどいいか)、どう感じるかは、個人差があるだろう。
 いずれにしろ、数字が出てきたら、気をつけなければならない。数字はもっともトリックを仕掛けやすいネタだ。数字を示されると、私たちはついつい客観的で揺るがし難い事実であるかのように錯覚する。しかし、特に統計的データは、計算式の設定の仕方で、特定の印象を情報の受け手に与えることができる。情報操作しやすいのだ。
 そもそもこの「3割」という数値は、どのような計算式によって導き出されたのだろうか?
これは、すべての発電所が一年間に発電する総発電量を分母にし、すべての原発が一年間に発電する総発電量を分子にした場合の割合ということだろうか?
 ここで、視点を変えて眺め直し、違う仮説を立ててみることが重要となる。
 これがもし仮に、国民全員が支払った一年間の電気料金の総額を分母にし、そのうち原子力発電に回されるすべての年間費用(維持管理費や自治体への交付金、核廃棄物の処理にかかる費用なども含む)を分子にした場合の割合だとしたら、本当に3割だろうか?
 なかんずく、今回のような大規模な原子力災害が起こり、算出困難なほどの多額の損害賠償が発生し、その金額が国民の支払う電気料金に上乗せされるかもしれないという現状では、もはやこうしたパーセンテージ計算の正確な計算式を設定することさえ困難になってはいないだろうか? いや、こうしたパーセンテージ計算をすること自体も無意味になりつつあるのではないだろうか?

 「原発は発電コストが安い」「再生可能エネルギーは発電コストが高い」といった言説がすでに一般常識のようになっていた(それだけ私たちは刷り込まれていた)が、今回の原発事故を受けて、原子力発電の発電コストに関する試算のやり直しが、民間や海外を含むさまざまな方面で試みられている。それによれば、原発の発電コストは、他のエネルギーに比べて、安いということは決してない。むしろかなり高くつく。
 ここで、根本的(本質的)な問題に立ち帰って考えてみよう。
 もし仮に、原発の発電コストが他のエネルギーに比べて安いとして、それが何だろうか? どのような発電方法を選ぶべきかの基準は発電コストだろうか? デンマークは、再生可能エネルギーの発電コストが原発よりも安いからという理由で原発を廃止し、再生可能エネルギー優先の措置をとったのだろうか? そうではないはずだ。まず、国のエネルギー政策として何を選択すべきか、という国民的意思があり、次にどのような方法論がそれを可能にするかという選択がある(その方法論の中に、コストをいかに削減するかの取り組みもある)という順番だったはずだ。
 こうしたものの順番から言うと、今までの日本政府は、コストが安いという理由からではなく、国策として原子力を推進してきた、というだけの話だ。その中で、原発の発電コストを削減する何らかの方策もあったかもしれない(ただし偽りの成果だったかもしれないが)というだけの話だ。
 もし、今までの日本政府が何らかの原子力優遇政策をとり、これからも国の原子力依存度を増やすべく、さらなる優遇政策をとろうとするなら、そしてそれが国民的意思とはかけ離れているとしたら、それはなぜ何のためなのか?

 「依存」という言葉の吟味に戻ろう。ある言葉が示す概念を正確に把握しようとする場合、その言葉の対立概念を想定してみるのが有効だ。「依存」の反対は「自立」だろう。
 日本の電力の3割が原子力に依存し、残り7割がその他のエネルギーに依存しているならば、電力における自立とは何か? どうすれば、電力(エネルギー)依存から自立したことになるのか?
 電気に頼らない(あるいは過度に頼りすぎない)生活とは?
 個人あるいは自治体レベルでの電力創出(電気の自給自足、地産地消)は可能か?
日本の電力消費が3割削減されたら、原子力は不要になるか?
 原子力による発電とその他のエネルギーによる発電が分離されたとしたら、私たちはどちらの電気を使うことを選ぶだろうか? 原子力発電の方がその他の発電より電気料金が安いとしたら?
 再生可能エネルギーによる発電は電気料金が割高になるが、その差額はそうした新しいエネルギーの開発費用として使われるとしたら?
原子力以外のエネルギーによる電力消費が増えたら、原子力は必然的に淘汰されるだろうか?

 このようにして、私たちは、ひとつの具体的な命題からスタートして、問題の全体像にまで至った感がある。「木を見て森を見ず」の例えがあるが、「一本の木をよく吟味することで、森全体を把握する」ことになったわけだ。
 今私たちが踏んできた思考のプロセスをまとめておこう。

○まずは、立ち止まる。「ちょっと待てよ」
○何が起きているのか、何が問題になっているのか、「本当にそうなのか?」
○命題に含まれるひとつひとつの言葉を慎重に吟味してみる
○その命題のポイント(尻尾)をつかむ
○言葉を正確に定義してみる
○言葉の裏にある背景を想像してみる
○数値が出てきたら、その計算式は何かを考える
○対立概念を想定してみる
○視点を変えて眺め直し、違う仮説を立ててみる
○根本的(本質的)な問題に立ち帰って考える

デンマークに学ぶ脱原発市民運動

■OOAの働き
 デンマークが、第一次オイルショックを機に原子力推進へと傾きかけるのを、「OOA」(原子力情報組織)という全国規模の環境NGOが大きな働きをして原子力放棄へと方向転換させたことはすでに触れたが、この草の根運動によって国策を覆すという流れをどのようにして作り出したのか。その背景にはいったいどのような秘密があるのだろう。
 まず感心させられるのは、1974年にOOAを立ち上げたのが、シグフリード・クリステンセンという青年で、当時の設立メンバーは全員20代の若者だったということだ。彼らは反核のメッセージを非暴力的に伝えるため、平和的なシンボルマーク(黄色い太陽が微笑んでいる周りに“原子力?おことわり”の文字)をデザインし、爾来このマークは、全世界的な反核運動の象徴となっている。

 OOAが次にやったことは、エネルギー問題に関する徹底的な情報提供による啓発活動だ。当時デンマークの一般市民は放射線の人体や家畜などへの長期的な影響といったものに対して無知だったため、OOAはまずリーフレットを配布し、集会やデモ行進、講演や展示会といった平和的な示威運動をはじめる。また、単に原子力に反対するのでなく、風力や水力発電といった代替エネルギーを推進し、OVE(再生可能エネルギーに関する協会。現在は改称してVEとなった)という姉妹団体も設立する。

 OOAは実質的には国内唯一の反原発組織で、政府が原子力発電の推進を始める頃には、すでにキャンペーンを行っていた。「原子力反対」と掲げるキャンペーンではなく、「エネルギー政策を民衆が決める権利」を全面に打ち出したのである。「国民への情報提供組織」として全国130ヵ所に広がる草の根組織であると同時に、少数の戦略家で構成される本部事務局が政府や議会、電力会社への対応を一手に引き受けた。
 76年春には「原発法」が議会を通過したが、OOAは約80万部の新聞をデンマーク中に配布し、法律の施行を止める署名を6週間で17万人分集めた。
 政府が76年に発表した、15基の原発で拡大するエネルギー需要をまかなおうという総合エネルギー政策「EP76」に対し、OOAと若い科学者たちは「AE76」という代替エネルギーシナリオを作成して出版し、さらに15カ所の原発候補地に「エネルギー情報センター」も設け、これらの活動によって国民の支持を得た。

 1977年にはコペンハーゲンからわずか20kmしか離れていないスウェーデンのバーセベックで原子炉が設置され、デンマークでも反対運動が活性化した。それからわずか二年後、スリーマイル島での事故が起こり、デンマークでもその様子を息を飲んで見守ったという。
 78年には原発の候補地からコペンハーゲン、オーフスなどの大都市に向け、5万人以上の参加者が二日間にわたるデモ行進を行った。それ以降もさまざまな政治的活動を続け、その結果、1985年、デンマーク議会は原子力計画の放棄を決めたのである。
 そしてその翌年、チェルノブイリでの事故が起こったことになる。OOAはチェルノブイリの周辺地域での放射線被害の状況について調査を重ね、その結果は、スウェーデンのバーセベック原発の閉鎖運動を支えるものとなった。そしてついにその甲斐もあって2000年5月31日にバーセベックの最後の原子炉が廃炉となり、OOAはその役目を終え、組織は解消した。

 まとめよう。OOAが単なる反対運動(つまりカウンター勢力)に留まらず、やがて主潮流へと成長し得た背景には、どのような特徴と戦略があったのか。
 まず第一に、時代の趨勢を敏感に察知し、それに敏速に対応しようとする瞬発力があったこと。
 次に、「原子力反対」を掲げるのでなく、「どちらを選ぶにしても、自分たちで決める権利がある」という民主主義、国民主権の原理・原則を貫いたということ。
 キャンペーンを張る場合も、「〜に反対」というスローガンではなく「こっちの考えの方がよりよい」という具体的な代案を常に提示したということ。いずれにしろ、正しい情報をまんべんなく提供しようという姿勢を崩さないということ。この一種のバランス感覚は、敵の懐に分け入っていく大胆さと柔軟性にもつながっているようだ。
 そして何よりも、まだ社会的な影響力もそれほどないと思われる20代の若者に端を発して、それが全国規模の運動へと発展していったのは、とらわれのない自由な気風とチャレンジ精神と粘り強さ、組織の作り方や対外交渉における徹底した合理主義と実証主義に支えられた信念のたまものだろう。
 いかにもバイキングの子孫たち、という気がするが、血統だけとは言い難いこの国民性は、いったいどのように培われたものなのか。

■フォルケホイスコーレの影響力
 デンマークが反原発から再生可能エネルギーへと大きく舵取りする背景には、フォルケホイスコーレ(国民高等学校)の存在があると言われている。フォルケホイスコーレは、N.F.S.グルントヴィの提唱による農民解放運動の一環として、1884年に最初に作られた私立学校で、17歳以上なら誰でも学ぶことができる生涯教育機関だが、詰め込み式の授業と違い、カリキュラムは自由で、現在100校がデンマーク国内にあり、世界中に広がっている。17歳から87歳の生徒も居るそうだ。
 試験を拒否し、資格も与えず、全寮制で教師と学生が共同生活をして教養や社会性を学び、助成金は受けていても国家の干渉を受けない自由な学校だ。
 デンマークではここの出身者が多く、社会の重要なポストに就いていることも多い。
原子力発電の賛否が議論された際にも、フォルケホイスコーレの出身者が賛成側でも反対側でも重要な役割を果たした。

 フォルケホイスコーレの存在は学校教育にも大きな影響を及ぼしている。9〜10年の義務教育期間中もほとんど試験はなく、お互いの話しあいを土台に授業が展開される。自由に何ごとにもチャレンジするデンマーク人の行動力は、こうした背景や教育などから育まれているようだ。
OOAが設立されたその同じ74年の春、デンマーク政府は原発のキャンペーンのために「原子力情報委員会」を設置、デンマーク教育にたずさわるさまざまな有識者が委員として任命され、委員長にはフォルケホイスコーレの全国組織代表が指名された。当時、エネルギー政策を所管していた産業大臣もフォルケホイスコーレの出身であった。委員長は事務局長に、巨大技術や軍事技術に批判的な言論活動を展開していたゲールツェン氏を指名。以降、75年までに6冊のブックレットを出した。ブックレットは賛成と反対を対比的に構成、最後には「代替エネルギー」を出版している。こうした活動はOOAや市民には支持されたが、政府は嫌がり、76年に委員会を閉じてしまう。
 こうした、賛否両論とりまぜての徹底した対話で物事を決めて行こうとする態度も、やはりフォルケホイスコーレの教育方針によって養われたものかもしれない。国民教育の重要性を改めて痛感させられる。

■農民が支えた再生可能エネルギー開発
 アスコウ・ホイスコーレの教師となったポール・ラ・クールは、1891年から風力発電の開発に取り組んだ、デンマーク風力発電研究の元祖である。19世紀末からすでにこうした取り組みがなされていたのは驚きである。
 また、学校の電力供給用として教師と生徒が一緒になって小型風車を製造したフォルケホイスコーレがたくさんある。特に、1978年に2MWのダウヌィンド型風力発電機を開発したTvind国民高等学校は有名だ。現在、世界最大の風力発電機メーカーに成長したVestas社の前身は農耕器具メーカーで、風力発電機開発当初の1977年頃には知識を持つエンジニアが一人もおらず、Tvindの風力発電機を開発した関係者を含め、多くの市民の協力を受けている。
 市民の力で始められたのは、風力発電機だけではない。現在、デンマーク自然エネルギーの二番手として期待されているバイオガスプラントも、ごく普通の農民が始めたのである。何人もの農民が失敗を重ねながら努力したのである。これらの人々はエンジニアだったわけではないが、環境産業に大きな役割を果たしてきた。

 これがもし日本だったらどうだろう。農民は農業をやる者、新しいテクノロジーを開発したりするのは、技術者や学者であって、自分たちが手を出すことではない、というような誤った職業倫理のようなものが暗黙のうちに存在しないだろうか。もちろんこれは農業従事者だけに言えることではなく、あらゆる専門家が他の専門分野に対して越権行為を慎むような風潮があるようにも思う。たとえば、技術者は技術開発だけ、政治家は政治だけ、学生は勉強だけやっていればいい、というような・・・。この風潮は、極端な分業制を助長したり、専門家への過度の信頼や依存へと発展しかねない。ある意味、今回の原発事故もこうした風潮が原因の背景にあるとも言える。デンマークはそうした風潮とは逆の国民性が学校教育の中で養われていたからこそ、OOAのような市民運動が大きな国家レベルの潮流へと成長できたと思えてならない。


※参考:

脱原発運動のシンボルの裏に、デニッシュ・デザインあ
http://denjapaner.seesaa.net/article/199567396.html

デンマークのエコ事情
http://www.eco-g.co.jp/denmark.html

デンマークの環境共生型エネルギーシステムに学ぶ
http://homepage3.nifty.com/n-masako/frs/den0002.htm

「グリーン電力証書」とは何か?

 NPO法人・環境エネルギー政策研究所所長であり、エナジーグリーン株式会社の代表取締役でもある飯田哲也氏は、北欧(特にデンマーク)のエネルギー政策を参考に、2000年、東京電力ソニーとともに、三者共同プロジェクトとして「グリーン電力証書」の仕組みを立ち上げた。

 エナジーグリーン株式会社のホームページ(http://www.energygreen.co.jp/index.php)を見ると、同社では、グリーン電力(太陽光、風力、バイオマス、地熱、水力などによる電力)に関する認定・認証手続きをグリーンエネルギー認証センター(財団法人日本エネルギー経済研究所)にて行い、各発電所からのグリーン電力の環境付加価値を、グリーン電力証書として交付している。それを顧客が購入すると、グリーン電力の供給が受けられ、そのグリーン電力証書の代金は、必要な手数料を差し引いた上で、発電事業者に対して支払われ、発電所の維持・管理や新たな発電所の導入に貢献する、としている。

 グリーン電力のための発電所自然エネルギー発電所)の中には、市民出資(市民による出資)によって建設された発電所南信州おひさま発電所/長野県飯田市石狩市民風車/北海道石狩市)などがあるが、そうした事業体にとってのグリーン電力証書のメリットとは、これまで自らの利用に留まっていた環境付加価値を新たに販売することで、発電所の維持や拡張に必要な収益を増やせることと、第三者機関(グリーンエネルギー認証センター)が、発電設備およびグリーン電力相当量を認証することで、客観的な評価を得られる点を挙げている。

 大変結構な取り組みのように見えるが、気になる点がいくつかある。
 まず、グリーン電力であることを認定・認証する第三者機関であるというグリーンエネルギー認証センターだが、これは財団法人日本エネルギー経済研究所の内部機関らしい。この財団のホームページ(http://eneken.ieej.or.jp/)を見ると、この研究所は1966年に創設されたものである。ちょうど日本が電力事業を原子力中心に推進しようとする矢先の創設ということになる。その当時にグリーン電力を推進するために立ち上げた機関であるとは考えにくい。
 役員名簿を見ると、まず常任理事長の豊田正和氏は経産省のOB。24人いる理事は、学者・研究者、大手電気・ガス・石油会社の幹部連中。その中には、東電の藤原万喜夫副社長や久米雄二電気事業連合会専務理事の名前も含まれている。市民団体や民間を代表する人間は一人もいない。ホームページに掲載されている論文などに目を通しても、日本の原子力事業推進に一役買ってきた団体であることは疑いようがない。何か、官僚と財界と学界が結託して進めてきた日本の原子力事業の縮図でも見せられているような違和感がある。
 ちなみに、エナジーグリーンの代表取締役である飯田哲也氏も、もとは(財)電力中央研究所原子力研究開発に従事していた人物である。

 これは何を意味するのか? 今まで原子力を推進してきた面々だが、2000年頃からはグリーン電力開発にすっかり宗旨替えした、ということか? それとも、今まで第一線で原子力を推進してきた専門家たちが、その専門的見識を活かして、今度はグリーンエネルギーの正当性の評価・認定・認証および普及の事業をやっていこう、というのだろうか? 彼らは原子力に関しては先発でも、グリーンエネルギーに関しては後発ではないのか?

 もうひとつ気になる点は、「グリーン電力証書」を交付するときに召し上げられる(?)手数料とやらが、どこに持って行かれて、何に使われるのか、ということだ。それが仮に今後のグリーンエネルギー開発に使われるとしても、中間採取の匂いがして、あまり気分のいい感じはしない。何か、体のいい資格商売の構図でも見ているような印象がある。

 実際、このグリーン電力証書のデメリットとして、すでにいくつかの点が挙げられている。
まず、懸念されているのは、証書が市場で流通する際に流通コストが上乗せされ、その分だけ再生可能エネルギーに対する助成効果が薄れてしまう、という点である。
 さらに、グリーン電力証書は多くの場合、再生可能エネルギーの導入量を電力会社に義務づけるクォータ(quota)制(日本ではRPS法=電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法)と共に用いられるが、その場合、固定価格買い取り制度(フィードインタリフ制度)に匹敵する効果は期待できない、という点である。こうした制度と抱き合わせでなく、証書単体で利用される場合は、なおのこと価格の変動に左右されやすいだろう。したがって、この証書が一種の株券として証券取引所で取引される場合、相場が変動することによる、発電事業者にとってのリスクが高くなる。また、今後投資対象としての価値が上がってくれば、マネーゲームの対象とされるリスクもあるだろう。
 また、グリーン証書を購入することでグリーンエネルギー事業に貢献しているという、企業のイメージアップにつながる点がメリットとして挙げられているが、その企業自体が自然エネルギー発電所を所有しているわけではなく、もしその企業のもともとの業態が環境負荷の高いものだった場合、このグリーン証書が一種の免罪符の役割を果たしてしまう危険性がある、という点も無視できない。

 もちろん、このグリーン電力証書が万能の制度であるはずがない。今まで原子力中心でやってきてしまった日本の電気事業が、再生可能エネルギーの本格的開発へと大きく舵取りする過渡期には、実験的な試みとしてのひとつの選択肢ではあるかもしれない。
 しかし、重要なことは、このグリーン電力証書が制度としてうまく機能するかどうか、ということではない。デンマークの事例が成功したのは、原子力推進に傾きかける政府を、市民側が、反対するのでなく代案を示すという形で方向転換させた、という大きな潮流であり、具体的な数値を国家的目標として掲げ、国民合意のもとに、その数値目標を達成するためのさまざまな方策が検討され、最良のものを実施し、常に再検討を怠らず、全体を修正しながら前進し、ある意味目標以上の成果を上げてきた、という点である。さもなくば、原子力をいっさい使わずに、24年間でエネルギー自給率1.5パーセントから100パーセントにまで持って行くという快挙を成し遂げられるはずがない。
 そこには常に、市民主導のポリシーによる、国を挙げての本格的な行政改革があったということだ。一研究者あるいは企業家が、大手企業や学者や官公庁と組んで、新しい証券市場取引の実験をしているのとは、根本的に異なる。

日本はデンマークに学ぶべし

 まず特筆すべきは、デンマークは日本と同じく、エネルギー自給率の極端に低い典型的な「エネルギー弱小国」だったということ。一次エネルギー自給率はわずかに1.5パーセント。その一次エネルギーの89パーセントまでが石油であり、その石油の90パーセント以上を中東に頼っていた。国民は、あまりにも他国に対する依存度が高いことに、いやがうえにも危機感を抱いていた。
 そこで、1973年の石油危機をきっかけに、次のような多元的な課題を同時に満たす国家的目標が掲げられる。

○石油や原子力以外のエネルギー源を、市民を巻き込んで開発する。
○国内でのエネルギー効率を高める。
○エネルギーの需要そのものを抑制する。

 結果から言うと、17年後の1990年には、エネルギー自給率は54.2パーセントまで高まり、それからさらに10年後には100パーセント近くにまで達したという。何がそれを可能にしたのか。

 1980年、デンマークはエネルギー税を新設した。国民的合意のもとで「石油と石油製品の価格は高く維持する」という基本政策を採用したのである。その後、86年頃から石油の国際価格が下落に転じ、それにつれて各国の国内価格が引き下げられても、そうしたグローバルトレンドに反し、デンマークは逆にエネルギー税の税率を引き上げることによって、国際価格下落以前の価格レベルを国内において維持できるように設定し、国内での石油消費を抑制し続けるという方策を堅持した。
 デンマークのエネルギー税は高率であり、その税収は今も国の歳入規模の7〜10パーセントを占める(95年現在)。
 その一方で、再生エネルギーによって作られる電力については、免税対象とするなど徹底した法的優遇措置を施した。
 さらに1984年には、民間企業の再生可能エネルギー設備で作られた電力を売電すれば、その企業は税金の多額な還付を受けられるよう税制改正した。

 これらの税制によって、エネルギーの需要を抑えたり効率を高めたりはできるものの、それだけで国家的目標に達することは難しい。エネルギー自給に対する国民の理解や関心をさらに高め、市民を巻き込んでのさらなる開発が必要である。

 時はやや遡って、第二次石油危機直後の1979年から、再生可能エネルギーを生み出すための設備投資に対しては、大胆で柔軟な補助金制度が採用された。
 デンマークの再生エネルギーは風力が中心だが、一般市民も気軽に風力発電に参加できるような工夫がなされた。風力発電機を動作させるには、民家や公道から一定距離離れた広い土地を必要とするため、広い土地の所有者は比較的参入しやすい。しかしこれでは発電事業に参加できる市民の数が限られてしまうため、所有する土地の面積が十分でない市民・農民でも互いに土地を出し合って参加できる「市民共同発電方式」を導入した。
 この方式を推奨するため、既存の電力会社が買い上げる電力の価格も、個人参入の場合は、販売電気料金の70パーセントであるのに対し、共同発電の場合は85パーセントに設定して優遇措置をとった。
 さらに、設備投資に対する補助金の額を、最初は投資金額の30パーセントから出発し、やがて25パーセント、15パーセント、10パーセントと減額していくことで、この「電力創造運動」にいちはやく参入した者が、後発よりも得するように配慮した。こうして、少しでもその気のある人間には、乗り遅れたら損をするぞという気風を制度として創り出したわけである。そうして、風力発電が十分に普及した1989年に、この制度は廃止された。
 次に、実現がより困難な再生可能エネルギーへと事業を誘導するため、太陽光発電バイオマス発電には30パーセント、ヒートポンプには10パーセントなど、差別的補助制度を採用し、企業家精神を奮い立たせる仕組みが作られた。
 このようにして、1980年には皆無だったデンマーク風力発電機の数は、その後の10年ほどの間に3200基となり、総電力設備で42万キロワットへと急増した(91年末現在)。その結果、再生可能エネルギーは、デンマーク全体で消費される一次エネルギーの5.7パーセントを占め、国内で自給されるエネルギーの10.5パーセントを占めるまでに成長した。

※(参考までに言うと、デンマークには、現在原発は1基もない。電力の半分は風力発電で賄うに至っている。1973年に原子力発電の計画が持ち上がったが、その際、「OOA」(原子力情報組織)という全国規模の環境NGOが組織され、政府のエネルギー計画に対案を出し、メディアなどで国民の関心を高めた。OOAは、「原子力反対」を掲げるのでなく「エネルギー政策を民衆が決める権利」を前面に押し出し、草の根的に活動した。その結果、国民の強い支持を得て、デンマーク議会に1年間原子力計画を延期させ、最終的には85年に、議会に原子力計画の放棄を決めさせた。)

 デンマークは、こうした実験的な社会システムを導入することで、経済成長にはかならず総エネルギー消費量の増大が伴うという神話を覆してみせたのだ。デンマークは、石油ショックの後、74年から91年までの17年間に国内総生産(GNP)で40パーセントの成長を遂げながら、エネルギー消費の増加率は年ごとに低下し、ある時期以降、総消費量は横ばいという「エネルギー少消費型経済成長」が可能であることを証明してみせたのである。
 再生可能エネルギー分野でのデンマークの躍進は国内にとどまらなかった。風力発電でいえば、自国内で使う技術とシステムを磨き上げ、生産基盤と実用化のためのノウハウが確立した後、アメリカはじめ他国への輸出を目指した。デンマーク製の風力発電機はすでに11500基がアメリカに向けて送り出され、「使う技術とシステム」のパッケージで機能している。一方、日本製の風力発電機はほとんど国内市場を持たぬまま、システムなしの単体で多く海外に輸出されている。
 これでもわかるように、日本のエネルギー創造事業は、「技術あれども仕組みなし」「ハードあれどもソフトなし」であり「方策あれども目標なし」なのだ。これではせっかくの技術力が宝の持ち腐れとなり、政策は迷走するばかりで、どこへ向かっていくのかさっぱりわからない。

 つい最近、選挙で再選を果たしたどこぞの国の首都のトップが、「反原発なんてできっこない」と豪語していたが、できないのではなく、やる気がないだけの話だし、市民にやる気を起こさせる仕組みを作る気もないだけの話である。

 日本は、今すぐにでも再生可能エネルギーへの大きな舵取りをしない限り、10年後の未来はないだろう。


※参考:「共生の大地」内橋克人著(1995年・岩波新書

日本はエネルギー後進国

 1978年、カーター政権のもと、アメリカで「PURPA法」という法律が制定された。PURPAとは、Public Utility Regulatory Policy Actの略で、日本語では「公益事業規制政策法」と訳されている。
 この法律の大きな柱は3つ。
○一定の条件を満たせば、誰でも小規模な発電所を創業できる。
(この法律により認定された新しい発電所は「適格発電所」と通称される)
○既存の大手電力会社は、この新しい発電所から電気の買い取りを要求された場合、拒否できない。
○各州に公益事業委員会を設け、買電価格など、法律の運用に必要な細目を決める。

 この法律の施行により、アメリカのエネルギー事情はどのように変わったか。

 カリフォルニア州アルタモント峠には7000基の風力発電機が設置され、その総発電容量は70万キロワットに達する。この「ウィンドファーム」の経営主体は、既存の発電会社とは何の関係もない複数の新興企業である。
 同じカリフォルニア州サクラメントの市営電力公社「ランチョー・セコ原子力発電所」は、地元サクラメント市民の自由意思による住民投票で、1989年、廃止が決定された。スリーマイルと同タイプのこの発電所は、75年に建設されてから、わずか14年の寿命だった。
代わって住民が選択したのは太陽光発電。原子炉建屋と地続きの隣接地に今はソーラーパネルが並ぶ。経営にあたっているのは、自治体と地元住民の出資により設立された第四セクターサクラメント市営電力公社」である。
 同州には、モハーベ砂漠の「シグマⅡ太陽熱発電所」などもある。
これら、いわゆる再生可能エネルギーを利用した「適格発電所」は、既存の大規模発電所の50分の1にも満たない規模だが、すでに全米で3200社を超え(1995年時点)、そのほとんどが高い収益を得ている。日本では、再生可能エネルギーによる発電は、まだまだコストがかかり、その割には発電量が少なく、収益性が悪いというのが常識となっているようだが、アメリカの常識はまったく逆のようだ。

 なぜこのような小規模発電所が、大容量発電と競合しても高い収益を上げられるのか、原発を廃止してまで再生可能エネルギーに頼るかたちで、なぜ停電もなく電力を賄えるのか。そのからくりはこうだ。
 PURPA法は、適格発電所から買電のオファーがあった場合、既存の大電力会社はそれを拒否できないとしているが、そのときの買い取り価格は「アボイデッド・コスト(避けられたコスト)」によって定められるとしている。つまり、これらの適格発電所が新設されなかったら、その分の電力需要を賄うために、既存の大電力会社は火力なり原子力なりの熱源による発電所を新たに建設しなければならないことになる。しかし実際には、これらの適格発電所があるおかげで、新規発電所建設にかかるコストは「アボイドされた(避けられた)」ことになる。したがって、大電力会社が適格発電所の電気を買う場合、新規発電所建設コストも含めた自社の発電コスト以下の価格であってはならない、というわけだ。
 カリフォルニア州は、適格発電所からの買電価格の変動を抑えるために、年ごとの予測値を決め、同時に最長30年に及ぶ長期買電契約を認めることにした。その契約期間の最初の3分の1は、州政府が定めた予測値によって実際の買電が行われる。このようにして、適格発電所側にとってはるかに有利な条件が設定されたのである。
 このPURPA法の制定によって、発電所の熱源が火力や原子力から再生可能エネルギーへとシフトしただけでなく、地球温暖化、環境汚染、有限資源の消費などが抑止され、数値として設定された「アボイデッド・コスト」をはるかにしのぐ価値がもたらされ、いわば全地球規模での「コスト回避」が達成されたのである。

 「日本の発電量の30パーセントは原子力に依存しており、コストがかかり発電効率も悪い再生可能エネルギーがまだ実用的でない現状では、真夏のピーク需要が年々増大する中で、その需要を満たすためにさらなる原子力拡大が必要である」というようなレトリックを駆使する我が国の電力関係機関が、いかに地球環境や資源保護といった国際的目標に背を向け、私利私欲に走っているかがよくわかる。

 ドイツ、デンマーク、スイス、オランダといったヨーロッパ諸国でも、再生可能エネルギーへの転換が精力的になされている。ドイツのノルドライン・ウェストファーレン州アーヘン市では、太陽光発電所からの買電価格は電気料金の10倍、風力発電は1.3倍で買電されるようになった。これは、再生可能エネルギーへの転換を促進させるという目的だけでなく、電力消費を抑えて二酸化炭素の排出量を減らすという国民的目標を達成するためでもある。つまり、まず達成すべき目標を先に設定し、その目標を達成するための最適の手法を考えていくという発想なのだ。

 「いついつまでに、何をどうする。そのために必要なことなので、今こうする」といった目標設定に関しても理由に関してもいっさい説明なしで、いきなり原発の停止要請を出すような、どこぞの国のリーダーとは大違いである。もちろん、大手電力会社が「オール電化」などという綱渡り的なやり方で電力需要を煽り、収益を増やそうとするのともまったく逆のグローバルトレンドであり、再生可能エネルギーへの転換を促進するためではなく、電力会社の不始末の尻ぬぐいを国民に押し付けるために電気料金を値上げしようとする動きとも、まったく正反対である。

 アメリカでPURPA法が施行されたのが1978年(スリーマイル事故の前年)であったことに鑑みるなら、日本はエネルギー政策において、確実に30年以上遅れをとっているし、今後も先進国に肩を並べる見通しはまったく立っていない。


※参考:「共生の大地」内橋克人著(1995年・岩波新書

自治体よ、原発依存から自立せよ!

 あなたは、名うてのギャンブラーだったとしよう。あなたは巨費を投じてきわめてリスクの高い賭けに出た。ハイリスク=ハイリターンの原則にてらして、無尽蔵のリターンが期待できると踏んだからだ。ところが「想定外」の事態が起こり、膨大なツケを支払わされるハメになった。これ以上同じ賭けを同じやり方で続ければ、損失はさらに広がり、収拾がつかなくなる可能性が高い。投資した費用が戻ってこないのは痛いし、それ以上の損失補填を強いられることも痛恨の極みである。
 そこであなたはまず考える。今回これだけの損失を生んだのは、リスク管理に問題があったからだろう。そこであなたは、この賭けのリスク管理にどのような問題点があり、「想定外」の事態が起きた原因は何だったのかを徹底的に調査し、さらにリスク管理を強化し、この危険な賭けを継続させるにはどうしたらいいか・・・。
 しかしあなたがまともなギャンブラーだったら、どれほど大きな損失補填を強いられようが(いや、強いられたからこそ)早々にその賭けから撤退し、二度と再びこの種の賭けに手を染めることはしないはずだ。それがリスク管理の定石というものだ。まさに「君子、危うきに近寄らず」である。ところが、あなたはよほど執念深いか、あるいはよほどの酔狂か、同じ賭けをさらに続けたいと考えた。もちろんこの時点でまともなギャンブラーとしては失格である。あなたはむしろ狂気に近づく。
 そうまでして継続したいのは、どれほどの損失を出そうが、それまでにその賭けから得た利益があまりにも膨大であり、さらなる増資やリスクのかけ方によっては、継続した収益が見込めると踏んだからだ。
 客観的な目からは、あなたはその危険な賭けにどっぷり依存する体質になってしまっていると見えるだろう。ここまでくると、アルコール依存や薬物依存とさほど変わりがない。
 そこであなたは、狂気した頭で考える。二度と大きな損失を出さないためには、考えられる限り最高レベルのリスク管理の方策をとるべきだ。しかし、果たしてそんな方策があるのだろうか。もしそんな方策があるとしたら、「想定外」の事態が再び起こったときに、被害を最低限にとどめる工夫ぐらいのものではないのか。あるいは、他でやられているリスク管理より一歩先を行っていれば、最高レベルと言えるのではないか。
 ここでは、「想定外」の事態を起こさない方策でも、被害を出さない方策でもないことに留意していただきたい。さらにいえば、ここでいう「被害」とは、自分に直接降りかかってこないもの(いわゆる二次被害、三次被害)をも勘定に入れているかどうかは定かでない、とういう点にも留意していただきたい。

 去る6日、経済産業省は今後のエネルギー政策に関する内部文書を明らかにした。それによると、2030年〜50年に向けた長期的なエネルギー政策の3本柱として、「世界最高レベルの安全性に支えられた原子力」、太陽光発電などの再生可能エネルギーの拡大、ライフスタイルや産業構造の改革による省エネルギーの実現、の3つが挙がっている。
 当たり前のことだが、ここでまず念を押しておかなければならないのは、再生可能エネルギーの拡大や省エネの実現は、原子力の不足を補う(あるいは将来それに取って替わる)ものではあっても、原子力の安全性を支えるものではない、ということだ。どんな代替策をもってきても、原子力が危険であることに変わりはない。
 この文書では、福島原発の事故で「原子力の安全確保に大きな疑問符」がついたとの判断から、「原因の徹底究明と安全規制の抜本見直しを進め、将来のエネルギーとしての適格性を判断する」としている。適格か不適格かを、これから判断するということのようだ。つまり、経済産業省によれば、どうやら今回の福島原発の事故は、原子力が将来のエネルギーとして不適格であると判断するに足る事態ではなかった、という認識らしい。
 菅総理は、浜岡原発の全面停止要請をするときに、「国民の安全を第一に考えて」という理由づけをしていたはずだが、総理と経済産業省との間に、原子力行政あるいは国民の安全確保に関する認識のズレがあるのだろうか?
 菅総理は、14基の原発の新増設を含めた今後のエネルギー基本政策をいったん白紙撤回し、一から議論し直すとしているのに対し、経済産業省は、この文書によって従来の原発重視を堅持する方針を打ち出している、との見方もある。危険を排除するのではなく、あくまで危険を飼い馴らしたいらしい。しかし、この「原子力」という猛獣、果たして飼い馴らせるのだろうか。

 経済産業省発信のこの内部文書で、見過ごしてならないのは「世界最高レベルの安全性」という点である。ここは本来なら、いかなる事態にも耐えうる「絶対的な安全性」を謳うべきところだ。ところが、安全性の指標として「世界最高」という具合に、いわば他との比較をもってきた時点で、原子力に関して絶対的な安全性など謳えるはずがない、という認識を露呈してしまっている、とも言える。いわば、「絶対的」と言うべきところを「世界最高レベル」へとトーンダウンさせている、といったところだ。
 もし仮に、安全性の確保が世界最高レベルだったとしても、それで事故が起こらない保証には、これっぽっちもなっていない。世界最高レベルの安全対策を講じていながら事故が起きたら、「世界最高レベルの安全性をもってしても、事故は防げなかった」ということが証明されるだけの話である。安全性をどのように高めようが、原子力開発は、あまりにも危険な賭けであることに変わりはないのだ。いかなる理由があるにせよ、そんな危険な賭けに手を出すべきだろうか?
 それとも、よしんば「想定外」の事態が起こっても、被害を最低限にとどめる対策を講じておきさえすれば、安全性を確保したことになる、という認識だろうか。いわば事故が起きないことを「保証」するのではなく、事故が起きたときの「補償」はちゃんとしますよ、ということか。
 少なくとも、一方で、原子力という危険な賭けを継続することで、相変わらず国民の不安を煽り、さらに省エネの枷を嵌めることで、国民に有形無形の負担を二重に強いるようなやり方は、国民の安全を第一に考えたことにはならないし、エネルギー行政にいかなる柱を立てたことにもならない。
 ついでに申し上げるなら、節電や省エネは、危険な原子力から足を洗い、再生可能エネルギーを軌道に乗せるまでの間の暫定的な「手段」として、政府が国民にお伺いを立てるなら話はわかるが(もちろん国民は、国に言われるまでもなく、自分たちのこととして節電や省エネに励むはずだ)、政策の柱には到底なり得ない。

 それにしても、菅総理浜岡原発停止要請を受けての御前崎市の市長以下幹部職員の狼狽ぶりは、原発関連交付金という、危険すぎる賭けの「おこぼれ」に自治体の運営を依存させてきた依存症患者の慌てふためきようだ。本来ならここは「ついに来るべき時が来たか」と腹をくくって然るべき場面だが、「国の判断でトラブルのない原発を止めるんだから交付金は百パーセント穴埋めしてもらうのが筋だ」と厚顔ぶりを発揮して憚らないのは、原発を地元に誘致した時点ですでに健全な自治体運営を放棄していたことに気づいていない重度な依存ぶりを垣間見せているにすぎない。
 この際だから、御前崎市に限らず、原発政策のおこぼれにぶら下がるような、およそ健全とは言い難い運営に甘んじてきた地方自治体は、「原発依存症」からの立ち直りを真剣に図るべきだ。