日本はデンマークに学ぶべし

 まず特筆すべきは、デンマークは日本と同じく、エネルギー自給率の極端に低い典型的な「エネルギー弱小国」だったということ。一次エネルギー自給率はわずかに1.5パーセント。その一次エネルギーの89パーセントまでが石油であり、その石油の90パーセント以上を中東に頼っていた。国民は、あまりにも他国に対する依存度が高いことに、いやがうえにも危機感を抱いていた。
 そこで、1973年の石油危機をきっかけに、次のような多元的な課題を同時に満たす国家的目標が掲げられる。

○石油や原子力以外のエネルギー源を、市民を巻き込んで開発する。
○国内でのエネルギー効率を高める。
○エネルギーの需要そのものを抑制する。

 結果から言うと、17年後の1990年には、エネルギー自給率は54.2パーセントまで高まり、それからさらに10年後には100パーセント近くにまで達したという。何がそれを可能にしたのか。

 1980年、デンマークはエネルギー税を新設した。国民的合意のもとで「石油と石油製品の価格は高く維持する」という基本政策を採用したのである。その後、86年頃から石油の国際価格が下落に転じ、それにつれて各国の国内価格が引き下げられても、そうしたグローバルトレンドに反し、デンマークは逆にエネルギー税の税率を引き上げることによって、国際価格下落以前の価格レベルを国内において維持できるように設定し、国内での石油消費を抑制し続けるという方策を堅持した。
 デンマークのエネルギー税は高率であり、その税収は今も国の歳入規模の7〜10パーセントを占める(95年現在)。
 その一方で、再生エネルギーによって作られる電力については、免税対象とするなど徹底した法的優遇措置を施した。
 さらに1984年には、民間企業の再生可能エネルギー設備で作られた電力を売電すれば、その企業は税金の多額な還付を受けられるよう税制改正した。

 これらの税制によって、エネルギーの需要を抑えたり効率を高めたりはできるものの、それだけで国家的目標に達することは難しい。エネルギー自給に対する国民の理解や関心をさらに高め、市民を巻き込んでのさらなる開発が必要である。

 時はやや遡って、第二次石油危機直後の1979年から、再生可能エネルギーを生み出すための設備投資に対しては、大胆で柔軟な補助金制度が採用された。
 デンマークの再生エネルギーは風力が中心だが、一般市民も気軽に風力発電に参加できるような工夫がなされた。風力発電機を動作させるには、民家や公道から一定距離離れた広い土地を必要とするため、広い土地の所有者は比較的参入しやすい。しかしこれでは発電事業に参加できる市民の数が限られてしまうため、所有する土地の面積が十分でない市民・農民でも互いに土地を出し合って参加できる「市民共同発電方式」を導入した。
 この方式を推奨するため、既存の電力会社が買い上げる電力の価格も、個人参入の場合は、販売電気料金の70パーセントであるのに対し、共同発電の場合は85パーセントに設定して優遇措置をとった。
 さらに、設備投資に対する補助金の額を、最初は投資金額の30パーセントから出発し、やがて25パーセント、15パーセント、10パーセントと減額していくことで、この「電力創造運動」にいちはやく参入した者が、後発よりも得するように配慮した。こうして、少しでもその気のある人間には、乗り遅れたら損をするぞという気風を制度として創り出したわけである。そうして、風力発電が十分に普及した1989年に、この制度は廃止された。
 次に、実現がより困難な再生可能エネルギーへと事業を誘導するため、太陽光発電バイオマス発電には30パーセント、ヒートポンプには10パーセントなど、差別的補助制度を採用し、企業家精神を奮い立たせる仕組みが作られた。
 このようにして、1980年には皆無だったデンマーク風力発電機の数は、その後の10年ほどの間に3200基となり、総電力設備で42万キロワットへと急増した(91年末現在)。その結果、再生可能エネルギーは、デンマーク全体で消費される一次エネルギーの5.7パーセントを占め、国内で自給されるエネルギーの10.5パーセントを占めるまでに成長した。

※(参考までに言うと、デンマークには、現在原発は1基もない。電力の半分は風力発電で賄うに至っている。1973年に原子力発電の計画が持ち上がったが、その際、「OOA」(原子力情報組織)という全国規模の環境NGOが組織され、政府のエネルギー計画に対案を出し、メディアなどで国民の関心を高めた。OOAは、「原子力反対」を掲げるのでなく「エネルギー政策を民衆が決める権利」を前面に押し出し、草の根的に活動した。その結果、国民の強い支持を得て、デンマーク議会に1年間原子力計画を延期させ、最終的には85年に、議会に原子力計画の放棄を決めさせた。)

 デンマークは、こうした実験的な社会システムを導入することで、経済成長にはかならず総エネルギー消費量の増大が伴うという神話を覆してみせたのだ。デンマークは、石油ショックの後、74年から91年までの17年間に国内総生産(GNP)で40パーセントの成長を遂げながら、エネルギー消費の増加率は年ごとに低下し、ある時期以降、総消費量は横ばいという「エネルギー少消費型経済成長」が可能であることを証明してみせたのである。
 再生可能エネルギー分野でのデンマークの躍進は国内にとどまらなかった。風力発電でいえば、自国内で使う技術とシステムを磨き上げ、生産基盤と実用化のためのノウハウが確立した後、アメリカはじめ他国への輸出を目指した。デンマーク製の風力発電機はすでに11500基がアメリカに向けて送り出され、「使う技術とシステム」のパッケージで機能している。一方、日本製の風力発電機はほとんど国内市場を持たぬまま、システムなしの単体で多く海外に輸出されている。
 これでもわかるように、日本のエネルギー創造事業は、「技術あれども仕組みなし」「ハードあれどもソフトなし」であり「方策あれども目標なし」なのだ。これではせっかくの技術力が宝の持ち腐れとなり、政策は迷走するばかりで、どこへ向かっていくのかさっぱりわからない。

 つい最近、選挙で再選を果たしたどこぞの国の首都のトップが、「反原発なんてできっこない」と豪語していたが、できないのではなく、やる気がないだけの話だし、市民にやる気を起こさせる仕組みを作る気もないだけの話である。

 日本は、今すぐにでも再生可能エネルギーへの大きな舵取りをしない限り、10年後の未来はないだろう。


※参考:「共生の大地」内橋克人著(1995年・岩波新書