東京はリーダー不在

 出典は定かでないが、あるビジネス書に次のような一節があった。

「マネージメントとは、可能なことが不可能にならないようにするシステム。リーダーシップとは、不可能に見えることも可能にする力」

 マネージメントとリーダーシップに関し、これほど明瞭で的確な定義を、私は他に知らない。

 この定義に照らしてみるなら、何かを「できっこない」と言い切ってしまった瞬間から、石原都知事はリーダーであることを放棄した。いや、はじめからリーダーなどではなかったのだろう。なぜなら、自分のやろうとしていることに「できっこない」と言っているのではなく、他人のやろうとしていることに「できっこない」と言っているからだ。
 不可能に見えることも可能にする力をもつリーダーは、他人が決意してチャレンジしようとしていることに対して、間違っても「できっこない」とは言わないものである。できそうにないことでも、それが必要だと思えば、できる方法を考えるのがリーダーだ。それを考えないのは、大勢がそちらの方向にいくと何か都合の悪いことがあるため、違う方向へ持って行きたいという意図があるからに他ならない。それとも、石原氏は政治に対して傍観者でいたいのだろうか? まあ、どちらかと言えば、マネージャー・タイプなのだろうが、ならば果たして氏は東京をマネージメントできるだろうか?

 石原氏が再選を果たしたとき、東京の有権者は何を考えているのかと、私は首をかしげた。石原氏に投票したくはなかったが、他に選びたい候補者がいなかった? ならば、棄権して再選挙を要求すべきだ。それとも、今回は原発事故など、あまりにも未来に対する不確定要素が大きかったため、現状維持に甘んじた? 「現状維持=今まで通り=再選」という図式なのだろうが、石原氏を再選させたことで、果たして東京は本当に現状維持できるだろうか?

 上記の定義で、マネージメントとは、ひとつのシステムなのだという点がミソである。果たして氏は、東京全体をマネージメントできるシステムを構築することができるのだろうか?
私は、こちらの方こそ「できっこない」と言いたい。少なくとも、マネージメントという手法では、東京をコントロールすることはできないだろう。
 東京は、少しずつ、気づかないほど少しずつ膨らみ続ける風船だ。メトロポリス東京は、すでに制御不能なほど、膨れ上がってしまっているのだ。ピリピリと音をたてて亀裂が入り、今にも爆発しそうな状態であるのを、あなたは感じないだろうか?
 東京にとっての現状維持とは、膨らみ続ける状態を維持することを意味する。膨らみ続けるのにストップをかけたり、少し空気を抜いて破裂しない状態にまで持って行くといった作業は、現状維持ではなく、かなり大がかりな改革になるだろう。それこそ、一度解体して再構築するぐらいの・・・。少なくとも、マネージメントで改革はできない。

 東京を、新たな防災都市へと変貌させる? どんな災害が起きても耐えられるだけの、強靭な屋台骨を構築する? しかし災害はすでに起きているのだ。ただそれが目に見えないところで起きているため、おそらく誰も気づいていないのだろう。
 マネージャー・タイプの指導者が防災を考えると、どうしてもいろいろなものに「規制」をかけるという発想になる。建築の仕方を規制する、土地利用の仕方を規制する、といった具合だ。つまり、行き過ぎているものにブレーキをかける、という発想だ。このやり方は、通常の意味での成長や発展と逆方向のベクトルとなる。一般に、規制と成長・発展は両立しえない。むしろ成長・発展をうながすなら、規制緩和の方だろう。石原氏は、規制緩和による東京の成長・発展と防災対策の両立というマジックができるだろうか? あるいは、規制をかけずに東京を安心・安全な都市にするという手法だろうか?

 おそらく、石原氏の思惑に反して、東京は勝手気ままな方向へ向けてどんどん膨れ上がろうとしている。この、膨張するという方向において、東京は不可逆的である。あるいは、東京だけでなく、あらゆる大都市がそうかもしれない。不可逆的ではあるが、膨張する方向に一定の法則があるかと言うと、それを予測するのは極めて困難だろう。何かを囲い込もうと規制すればするほど、その網の目をかいくぐって、膨張のエネルギーはあらゆる方向へ逃れようとするだろう。まさに、熱力学におけるエントロピーの法則だ。人間の手で制御不能なものは、不可逆的に混沌へと向かっていく。
 こんもりとうずたかく積み上げられた砂の山を崩すまいと、手を突っ込んで抑え込もうとしても、砂の粒は指の間から少しずつこぼれ落ち、こぼれ落ちた砂は他の砂にも微妙な影響を与え、その影響がいたるところに波及する・・・。この現象自体がすでにひとつの「災害」である。しかも「人災」だ。そのようにして砂山は崩壊へと向かう。

 膨れ上がり、崩れかかろうとする砂山を、何とか押しとどめるにはどうしたらよいだろう。マネージメントにできることは、そうした膨張と崩壊の動きの後を何とか追いかけ、せいぜいほころびを繕うことぐらいだろう。もう少しスマートな方法をとりたければ、東京を何とか制御可能になるまで細かく分割し、分割したかたまりを、それぞれ他からなるべく影響を受けないように独立させ、自律的に機能できるようにする(相互のつながりを完全に断ち切るということではない)ことだろう。デカルトは言った。「難問は分割せよ」
 そのためにはもちろん、分割したそれぞれのかたまりにリーダーを個別に配し、自治権を譲り渡す。そして、都知事は全体のまとめ役として、それぞれの自治がやりやすいように支援する。これが本来のマネージメントのはずだ。本来は都内の区とか市がそうした自治区のはずであり、区長や市長がそのリーダーのはずだ。少なくとも世田谷区長はそのつもりだろうが、都知事は支援するどころか、足を引っ張っている。

 冒頭の定義に戻ろう。マネージメントとは、「可能なことが不可能にならないようにするシステム」である。平たく言えば現状維持のシステムだ。しかし、東京に今必要なのは現状維持ではなく改革である。改革とは、マネージャーではなくリーダーの仕事だ。しかも今の東京には強力なリーダーシップを発揮できるリーダーが必要だろう。リーダーシップとは、「不可能に見えることも可能にする力」である。つまりどんなに不可能に見えても、必要だと思えばそれを目標として掲げ、その実現に向けて強力に都民を引っ張っていく力だ。その実現のプロセスに必要となるのがマネージメントである。したがって、リーダーシップあってのマネージメントであり、この順番を逆にすることはできない。
 だから、本来なら、マネージャー・タイプの石原氏ではなく、強力なリーダーシップを発揮する人間が都知事となり、石原氏は副知事のようなサブ(いわば、参謀役)のポジションに就くのがちょうどいい。それが無理なら、東京を分割するしかないだろう。

 財政破綻した北海道の夕張市を立て直すべく、元東京都職員の鈴木直道氏(30歳)が史上最年少の市長に就任した。鈴木市長の要請を受けた石原都知事は、副市長相当の理事職に、都から8月をめどに課長級職員を派遣することを決め、都庁内に夕張との連携を図る対応窓口を設置すると約束した。元部下の活躍を支援する都知事の英断のように扱われているが、本来ならこれは、保坂展人世田谷区長に対して都知事がとるべき施策ではないのか?

 さて、このように、リーダー不在であり、混沌へと不可逆的に進みつつあり、それをくい止めるには分割統治しかないといった状況は、東京という一自治体に限らず、今の日本全体に言えることではないだろうか? そういう意味でも、今の東京は日本の縮図である。日本全体も、強力な牽引力を発揮するリーダーを待ち望んでいる。後藤新平のような? それはどうだろう。

 実は、日本に限らず、世界中でもそうしたリーダーが望まれていなかった時代などなかった。そして望まれたリーダーが与えられた時代もなかったのである。私たちは常に、「絵に描いた餅」に寄りかかろうとしているのだ。ブッダイエス・キリストといったスケールのでかい救世主が、人類史の極めて初期の段階に現れて、それ以来登場していないことの意味は大きい。(現れてはいても、歴史の闇に葬り去られていたのかもしれないが)(もちろん、ガンジーキング牧師ネルソン・マンデラといった人たちを考慮していないわけではない)
 これからは、特に乱世の時代には、強力な指導者を待ち望む前に、私たち一般人の一人一人が、ほんの少しずつでも歴史の牽引役としての自覚に目覚め、リーダーの役割を分担し、その力を結集して大きな力(不可能に見えることも可能にする力)を発揮すべき時代なのだ。