NHKスペシャル「検証・原発危機①事故はなぜ深刻化したのか」(6月5日)

 NHKスペシャル「検証・原発危機①事故はなぜ深刻化したのか」(6月5日)を見た。これを見ると、3.11の震災以来、原発事故への東電や政府の対応に関し、何ひとつ手際よくいったものなどなかった、ということがよくわかる。すべてのことが不手際、不首尾、後手後手だったのだ。普通なら、ひとつぐらいはうまくいってもよさそうなものだが、何ひとつうまくいかなかった。非常事態宣言(通報)も、全電源喪失時の外部電源確保も、ベントも、水素爆発の防止も、住民の避難勧告(避難誘導)も、放射能拡散に関する情報公開も、何もかもである。事故後の初動の5日間で、その後がすべて決まってしまったと言っても決して過言ではないだろう。
 中でも開いた口が塞がらないのは、全電源喪失(冷却装置の機能喪失)といった緊急事態でないと行わないはずのベントが、ベント弁の開閉が電動であるがために動かなかったことによって手動で行わなければならず、その分手間取ったというくだりだ。ベント弁が電動で動かなかった場合の対処法は、マニュアルには記載されていなかったという。まるで「ママごと遊び」だ。
 このマニュアル自体、全電源喪失といった事態をいっさい想定していない。不注意で想定していなかったのではない。「想定する必要がない」とはじめから「想定」していたのである。これが彼らの言う「想定外」という言葉の真意なのだ。これは、そもそも原子力開発が、完全なる安全性を追求すると経済的に成立しなくなるため、経済的に成立する程度の安全確保に努めればいい(これを称して「想定内」)としている証拠である。これを称して彼らは「原発は安全です」と呼んでいたのだ。つまりそれは「ある条件の範囲内で安全です」という意味だ。その範囲が明確に示されていない以上、それを超える事態が起こったら「想定外でした」と言えば済んでしまう。

 さて、事故対応の初動として、電源確保のために電源車を50台以上集結させたというが、ケーブルが短すぎて届かない、届いても接続部分の形状が合わなくて連結できない、連結できても、そもそも発電所内部の電気系統が故障していたため、電気が通らない、といった不手際ぶりだったという。
 これも、全電源喪失といった事態を想定してのシミュレーションも、事故対応訓練も、事故対応マニュアルも、いっさい「必要ない」という論理のあらわれに他ならない。つまり「緊急すぎる事態」は、もはや緊急でも何でもなく、それを配慮する必要も、それを想定して準備する必要もない、というわけだ。これを想定してしまうと、「原発は安全です」と言えなくなってしまうからだ。事故対策にあたったすべての当事者(政府、東電幹部、原子力委員会など)には、そもそも危機管理(リスクマネジメント)といった意識すらまともになかったと言わざるを得ない。想定外の事態が起きていない間はそれで通用していたとしても、いったん想定外の事態が起こってしまったら、「準備なき対処」「マニュアルなき実践」でいかなければならなかったはずだ。

 たとえば、今回のように、地震にしろ津波にしろ、災害の規模が桁外れで、しかも複合的な場合、被害の状況も単一ではなく複合的に起きている可能性を真っ先に考えなければならないはずだ。したがって、電源喪失によって燃料の冷却ができないという事態がもっとも深刻であり、電源確保が最優先課題であったにしろ、電源車を回すということだけに対処を集中させてしまうことは危険である。電源確保のための二の矢・三の矢を用意しておく必要もあるし、電源喪失だけでない(あるいはそれに続く)事態も想定して、先手を打ってそれに対処しておく必要があったのだ。それが危機管理のもっとも基本的な鉄則のはずだ。そんなこともわからない子供騙しの専門家たちが犯した罪は重い。
 この全関係者の不手際によって、事故は収拾不能なほど不必要に深刻化し、事故の深刻化によって、私たちは避けられたはずの被曝を強いられ、生きる場所や財産を奪われ、未来を奪われ、路頭に迷わされているのである。
 しかも、そうしたおよそ信頼するに足りない専門家たちが、いまだに最前線で陣頭指揮に立っているのだ。いったい、私たちはこの事故がいつか必ず収束すると、どのように信じればいいのだろうか?

 先ごろ、原発事故調査・検証委員会が発足し、委員長に「失敗学」の畑村洋太郎東大名誉教授が就任したという。「失敗学」とは、「ヒューマンエラー」とか「ヒューマンファクター」と呼ばれる分野を研究する学問のはずだ。人間には、間違い、勘違い、失敗がつきものだが、それがどのようなメカニズムで発生するのか、どのような条件下で起きやすいか、どのような対策によって発生率を下げられるか(ゼロにはならない)、といったことを研究しているはずである。
 本来なら、そういった専門家こそが、今現在、事故の復旧現場に真っ先に必要とされているはずだ。もちろん、これ以上の「失敗」を防ぐためにである。その分野の専門家が、最前線の陣頭指揮に立つのでなく、事故の跡を追いかけて歩く役に回されているとは、何という本末転倒だろうか。

 現状はますます、誰にも何も期待できなくなっている。私たちはそろそろ、最悪の事態を「想定」し、それに向けての「準備」をしておく必要があるかもしれない。
 最悪の事態とはこうだ。福島第一原発で使用されていたすべての燃料が外部環境中に流出し、それをくい止める有効な手立てはもはや存在しない。超高温と化した核燃料は、触れるものすべてを融かし、あらゆる隔壁を突き破り、外部環境中に出て行く。そして、放射能汚染は地球規模に広がっていく。
 もしかしたら、すでにそうなっているかもしれない。「そんなことは絶対にあり得ない」と疑う向きは、下記を参照。
「溶融ウラン、2800℃でコンクリ溶かし、すでに建屋の外か」↓
http://www.youtube.com/watch?v=kxDG4mjmEN8
その先に何が待っているのか、私たちが今成すべきことは、それをなるべく正確に把握し、それに自分としてどう向き合うか、はっきりとした態度決定をすることかもしれない。