頑張るな、日本!!

 公共広告は、タレントやスポーツ選手を駆使して、盛んに「頑張れ、日本!!」と訴えている。そこで私はあえて言いたい。「頑張るな、日本!!」
 もちろん、今現場で頑張らなければならない人たちがいる。その人たちには、頑張ってもらわなければならないし、エールも送る。しかし、大半の日本人は、頑張る前に考えるときだ。しばし歩みを止め、なぜ、どうしてこうなったのか、これからどうしたらいいのか、どの方向へ足を向けて新たな一歩を踏み出したらいいのか、じっくりと考えるときである。特に、すべてを失って避難所暮らしをしている人たちにとっては、誰よりも内省のときのはずだ。この貴重な時間を無駄にしてはならない。

 敗戦後の復興から始まる高度経済成長の時代には、とにかく国民全員が国を立て直すのだという共通の目標に向かって、脇目もふらずにしゃにむに頑張ってきたのかもしれない。かく言う私も、そうした親の背中を眺めながら育った口である。その経済的・物質的恩恵にも浴しただろう。それは否定しないが、この高度成長は一方で、金権政治官僚主義、環境破壊、そしてバブル経済の崩壊など、抱えきれないほどの負の遺産も次の世代に遺した。
 そして、今回の原発事故である。この未曽有の事故の背景にも、まったく同じ構図が見え隠れしている。この未曽有の事態がもたらした教訓は何かと言えば、「ここでいったん立ち止まって考えろ」ということしかあり得ない。もしこの教訓を無視して、またぞろ同じ方向に足を向けて同じように「頑張る」なら、同じ結果が待っているにすぎない。今度の事態で、私たちがとるべき選択肢が、確実にひとつ減ったのだ。そのことを肝に銘じて、私たちは次なる道へ進まなければならない。

 スローライフの提唱者、辻信一氏は言う、「『頑張る』ということばは戦争を連想させる」と。国民を総動員して、ひとつの方向へ命がけで頑張らせる動き、与えられた目標に向かって「トップ」をとるべくがむしゃらに頑張る人間は称賛され、サボっている(自分の目標に向かい、自分のペースでじっくり取り組んでいる)人間は非難される、といった一種の全体主義に対して、辻氏は警告を発しているのだろう。

 「復興」の名のもとに、国民全員をひとつの方向へ向けてコントロールしようという動きは、すでに始まっている。言論統制を匂わす「ネット規制法案」は言うに及ばず、被災者支援や景気回復の大義名分のもとに消費を煽ろうとする動きも、無批判に受け入れてはならない。
 ただでさえ景気の底が見えず不況にあえいでいた日本が、カウンターパンチのように今回の震災に見舞われたわけだ。復興のために政府は桁違いの公的資金を投入しなければならないだろうし、東電のやらかした失態の尻ぬぐいのために膨大な補償もしなければならない。国民に大いに消費してもらわなければ景気は上向いてこない。震災の当初は「不要不急のものは買い控えてください」と訴えていた政府が、今度は「経済復興のためにどんどん消費してください」というわけだ。
 しかし、何をどのように消費すれば、景気が上向くのかは、誰も教えてくれない。答えは、やみくもな消費にはないからだ。私たちは、消費活動に関しても、しばし立ち止まらなければならない。金を使うな、と言っているのではない。私たちがストップをかけなければならないのは、今までの「消費のパターン」に対してである。何かに煽られるようにして、それが本当に自分や社会の幸福や平和や真の安心に寄与するのかどうかを、ろくに考えずに行ってきた消費行動のパターンそのものを見直すときなのだ。

 福島原発では今、放っておくと過熱してしまう核燃料を何とか冷やして低温安定させるべく、あの手この手の努力がなされている。これが実現するのに、何カ月もかかるようだ。これは極めて象徴的な事態である。私たちが今取り組まなければならない最優先の課題も、大量生産・大量消費的価値観に背中を押され、過熱してしまった経済行為、しかしそれは結局のところ国民の真の幸福ではなく、環境破壊やバブルの崩壊、そして今回の原発事故といった負の遺産しか生み出さなかった消費行動にストップをかけ、自分の頭の中に「低温安定」状態を作り出し、何にお金を使うべきなのかを、冷静に考えることなのだ。この機会を逃したら、反省と再出発の時は二度と訪れないだろう。