表現者たちの「戦後の後始末」

「原爆の図」を描いた画家としてよく知られる丸木位里丸木俊夫妻は、アメリカに招待されて「原爆の図」展を開いたとき、その展覧会を主催したアメリカ人に「アメリカであなた方の絵を展示するのは、中国人が持ってきた南京の絵を日本で展示するようなものです」と言われ、「中国人の画家が持ってこないのだから私たちが描かなければ」と思い、日本に戻ってさっそく「南京大虐殺の図」を描いたという。私はそれを丸木美術館で観たが、「原爆の図」に優るとも劣らない迫力だった。画家がその絵に注いだエネルギーの量を思うと、めまいがするほどだ。画家とはそういうパフォーマンスをするのだ。夫妻の画業はその後「アウシュビッツの図」「沖縄戦の図」「水俣の図」という具合に続く。

 国際PENという組織がある。PはPoet(詩人)、EはEditor(編集者)、NはNovelist(小説家)をあらわす。つまり活字文化に携わる者たちの世界的組織である。1984年、その組織の国際大会が日本で開催され、世界各地からそうそうたるPENたちが集まってきた。それを記念してNHK教育テレビが討論番組を企画した。出演者として日本からは大江健三郎アメリカからはウィリアム・スタイロン、フランスからはアラン・ロブ=グリエが参加した(他にも参加者がいたかもしれないが憶えていない)。その討論の中で、核問題が出たとき、スタイロンがこんな意味の発言をした。「アメリカが日本に原爆を落としたのは、あの状況下では、双方の犠牲者を最小限に抑え、戦争を早期に終結させるために止むを得ぬ処置だった」と。ユダヤ人大虐殺の悲劇に翻弄される人間の悲しみを見事に詠い上げた傑作『ソフィーの選択』を書いたあのスタイロンが、こんなお粗末な発言しかできないのかと、私は情けなく思った。それを受けてロブ=グリエは、「日本人は広島・長崎の悲劇ばかりを強調するが、パールハーバーや南京のことを言わないのは不公平ではないか」という意味のことを言った。欧米人が日本人をやり玉にあげる際の典型的な論調である。小説作法においてはありきたりでないロブ=グリエらしからぬありきたりな発言だと思った。それに対し、大江は「広島・長崎の悲劇を痛ましいと感じる人間が、パールハーバーや南京の悲劇を憂慮しないということはあり得ない」という意味の発言をした。
 スタイロンやロブ=グリエの発言は、対立や闘争を招きこそすれ、協調や共存をもたらすものではない。一方、大江の発言は、戦争の悲劇や核の問題は、どの国のどの国に対する責任ということではなく、人類全体が地球に対して負うべき責任であるということを見通している人間の発言だろう。

 2001年12月7日(日本時間で8日)、ハワイのパールハーバーで「虹の祭りギャザリング・グローバルピース・セレモニー」という国際的なイベントが開催された。最初はオアフ島パールハーバーUSSアリゾナ記念碑前で、次にパールハーバーの見えるネイティブの聖地ケアウ テンプル(米軍がパールハーバーの軍港を作る礎石を搾取するために破壊した場所)で、参加者が世界平和への願いをこめてセレモニーを行った。
このセレモニーに参加した天空オーケストラの岡野弘幹氏の報告によると、12月2日から8日まで日本山妙法寺の数名の僧侶がパールハーバーで断食による平和の祈りを捧げ、地元のピースアクティビストたちがその行動に共感し、多くの人々の繋がりが生まれたという。
 また、このセレモニーで『広島平和の火』によって点火された火が、あらかじめ神戸港から貨物船で運ばれ、12月3日にホノルルに到着し、7日のセレモニーで灯されたという。その後その火は再び貨物船でホノルルを発ち、メキシコ経由でアメリカ本土に渡り、1月15日からネイティブアメリカンや日本人のピースウォーカーたちによってホピ族の聖地であるアリゾナのナバホまで運ばれた。ここは、かつてアメリカ政府が原子爆弾を作るためにホピ族の反対を圧し切ってウランを採掘した場所である。つまりこの平和行進によって、広島に灯された平和の火が、原爆誕生の地に返されたのである。

 どこの国に属するかを問わず、危険極まりない大量破壊兵器を開発し、それを駆使して戦争に勝とうとする者がいる。また、戦争が終わっても、相手を攻撃したり論破することで優位に立とうとする者がいる。その一方で、国や民族の違いなどを乗り越え、人間が人間に対し、あるいは人間が地球に対して果たすべき責任や役割という視点に立って発言したり行動したりする者らがいる。
 さて、あなたはどちらを選ぶ?