「死に甲斐」の創造

アメリカ「フォーチュン」誌によって優良企業に選ばれ、その評価を維持し続けているハーマンミラー社のCEOであるマックス・ドゥプリー氏は、その経営哲学を表した著書「リーダーシップは君子のように」(経済界)の中で、非常に興味深い指摘をしている。重要な決定や経営判断に迷うようなことがあったら、社内で「詩人」とか「芸術家」と呼ばれている人たちの意見を聞いてみろ、というのだ。営利目的の企業経営とか経済活動などとは、およそ相反すると思われる芸術活動の視点が、経営に役立つというのだ。その意味するところは極めて大きい。

 今回の原発事故の収拾にあたり、当然のことながらまず中心になって動いたのは東電であり、その周りを政府機関が固め、やがて東電と政府機関をとりまとめた統括本部ができ、その外側を原子力OBたちが固めた、という成りゆきがあるようだが、そうした十重二十重の「ブラッドシフト・サークル」の、そのさらに外側を取り巻くべきなのは、芸術家や文学者などと呼ばれる人たちだと、私は思っている。
 今回の災害を受けて、真っ先に声を発した表現者は、おそらくノーベル文学賞作家の大江健三郎氏だろう。大江氏は、アメリカのニューヨーカー紙に寄稿した文章の中で、次のような非常に重要な二つの指摘をしている。(日本語は拙訳)

Japanese history has entered a new phase, and once again we must look at things through the eyes of the victims of nuclear power,…
日本の歴史は、新しい段階に入った。だからこそ私たちは再び、原子力の犠牲となった人たちの目を通して物事を見つめなければならない。

The Japanese should not be thinking of nuclear energy in terms of industrial productivity; they should not draw from the tragedy of Hiroshima a “recipe” for growth.
日本人は、核エネルギーを工業的生産性の文脈で語るべきではない。広島の悲劇から、経済成長の「レシピ」など引き出してはならないのだ。

この二つの指摘は、震災後の日本を新たに立て直すにあたって、私たちがいわば基本理念として据えるべき事柄だと思う。

 先日、NHK教育テレビで、芥川賞作家の玄侑宗久氏とノンフィクションライターの吉岡忍氏の対談番組があり、その中で玄侑氏が「死に甲斐」という仏教者らしいことを言っていた。「生き甲斐」とは、個人が生きている間に見つけ出すものだろう。一方「死に甲斐」というものがあるとしたら、それは死んでいった者たちにとっての甲斐性ではなく、生き残った者たちにとって「あなたたちの死を無駄にはしない」と決意し、その思いを実践していく甲斐性であり、生きている者たちが創り出さなければならないもののはずだ。今回の震災(人災)で犠牲になられた方々の魂が「ああ、これなら自分たちの“死に甲斐”があった。これなら自分たちは浮かばれる」と思えるような後始末とは何かを考え、それを着実に実行に移すことこそが、生き残った者たちに今課せられている。それが、大江氏のいう「犠牲となった人たちの目を通して物事を見つめる」ということでもあるだろう。

 大江氏の言うように、「日本の歴史は、新しい段階に入った。」すでに入ったのだ。決して後戻りしてはならない。戦後が戦前ではありえないように、震災後は、もはや震災前ではありえない。この大きな災厄という「学び」を通して、私たちは震災前の日本を卒業したのだ。もしちょっとでも震災前の日本に引き戻そうとする動き、核エネルギーを経済成長のレシピにしようとするような動きが再び起こったら、私たちはこの卒業証書を高く掲げ、もう一度学校に戻って最終学年を繰り返したくて仕方がない連中に対して、「炭鉱のカナリア」よろしく、けたたましく騒ぎ立て、大袈裟に卒倒してみせ、人々がその危険性に気づくまで警鐘を鳴らし続けようではないか。いわば「ブラッドシフト・サークル」のいちばん外側を固める表現者にとって、「うるさい外野」であり続けることこそが「死に甲斐」の創造だと思うからだ。