ローカリズムからグローバリズムへ

 3.11に、マグニチュード9.0の大地震とそれに続く大津波が東北を襲い、そして12日に福島第一原発の一号機、14日には三号機が水素爆発を起こし、そしていまだに原発事故収拾の見通しが立たない(相変わらず放射能が漏れ続けている)という未曽有の事態によって、私たちの頭の中で、あるスイッチが完全に切り替わったと、私は見ている。いや、いまだに切り替わっていない人も多いかもしれないが、切り替わらなければウソだ。
 では、何から何に切り替わったのか。それは「ローカリズムからグローバリズムへ」である。今までおそらく「グローバリズム」(地球主義とか、国際主義)という言葉は、もっぱら社会学や経済学の文脈で語られていたかもしれない。たとえば「○○市場は、近年グローバル化へ向かう傾向がある」といった文脈がそれだ。しかし、ここではもっと「人間学」的な意味合いで使いたい。人間学的な意味合いで「ローカリズムからグローバリズムへ」切り替わるとはどういうことか。端的に言えば「経済性と人命のどちらを優先させるかといえば、迷わず人命を優先させる」という概念だ。

 たとえばあなたがある製薬会社に研究員として就職したとしよう。そこで日々の研究の結果、自社製品のひとつに生命を脅かす惧れのある重大な因子を発見したとする。それをさっそく上司に報告すると、上司はすべてを自分に任せ、いっさい口外しないよう、あなたを口止めしたとする。その結果、その薬が危険因子を含んだまま製品として市場に出され、案の定、犠牲者が発生してしまったら、あなたはどうするだろう。(もうお気づきだと思うが、この例は、4月9日の「東電の経営体質を問う」の項で挙げたフォードのピント事件と同じ構造を持っている。)
ここで、あなたは犠牲者に対して責任をとる必要はないかもしれないが、良心は痛むかもしれない。さりとて会社を告発したり、あるいは辞めたりしたら、路頭に迷うだろうと思い、そのまま何もなかったことにするだろうか。
反対に、あなたがさっさと辞表を書いて上司に出したとしよう。上司は最初あなたを引き止め、あなたが聞き入れないのを見てとると、急に態度を変え、例の一件を口外したら大変なことになると脅しをかけ、口外しなければ口止め料を出すと持ちかけたとする。それに対してあなたが毅然とした態度で、口止め料を受け取らず、自分はいかなる脅しにも乗らない旨を伝え、さっさと会社を辞めて、もっと命を大切にする生き方に変えたとする。
 この場合、会社を告発するかしないかは、付随的な問題だ。ここで重要なのは、こうした人命軽視の会社に背を向け、生命を脅かすものに果敢にNOと言い、そうした世界と縁を切った時点で、あなたの思考が、会社というローカルな共同体の暗黙のルールに無批判に従うという「ローカリズム」から、人類全体のこと、地球全体のことを視野に入れて自分の態度を決定するという人間学的な意味での「グローバリズム」に切り替わったという点だ。
 同じ4月9日の項で、スカンジナビア航空の経営改革の例を挙げた。この例で、CEOのヤン・カールソンは「1に安全、2に定時の発着、3にサービス」という優先順位を設け、それを厳格に守るというヴィジョンを打ち出して成功した。この優先順位が仮に「1に定時の発着、2に安全・・・」だったとすると、ある便が機械的な不具合で遅れそうな場合でも、その点検や対策を怠って強引に定時に便を離陸させる、ということになるだろう。今回、これと同じことをやったのが誰かは、もはや説明不要だ。

 今、日本人全体がこの「ローカリズムからグローバリズムへの転換」に迫られているのではないだろうか。特に、福島周辺において何らかのかたちで原子力事業に携わっていた人たちは、グローバリズムへの転換に迫られているはずだ。放射能汚染によって、福島原発の半径数十キロ圏内が危険区域として避難を余儀なくされ、事実上、自分たちの故郷を奪われたことは、極めて象徴的な事態だ。あそこで起こっていたことは極端なローカリズムだったのだ。原子力とはいっさい無関係だったにもかかわらず、巻き添えを食って、同じ憂き目を見た人たちは、さぞかし断腸の思いだろう。
 しかし、そうした人たちにも、あえて私は言いたい。今までは、確かにあそこがあなたたちの故郷だった。しかし、もしあそこに戻れないのだとしたら、そして、あなたたちが「ローカリズムからグローバリズムへ」とスイッチを切り替えるのなら、その瞬間から、あそこ以外の地球上のすべてが、あなたたちの新しい故郷になると。そうした意識で、あなたが第二の故郷を求めて旅立つならば、受け入れる私たちは言うだろう。「ようこそ、おかえりなさい。新しい故郷へ」
 私たちの懐は、「福島ナンバーお断り」と貼り紙を出すガソリンスタンドや、避難してきた小学生を「放射能がうつる」といじめる地元の子どもたちとは、まったくの対極になければならない。それこそが、受け入れる側にとっての「グローバリズム」だ。

 「Think globally, act locally(地球規模で考え、局地的に行動せよ)」という言葉がある。
これは、出典は定かでないが、60年代、70年代の世界の市民運動や環境運動のスローガンとして掲げられていた言葉だ。原発事故で被災された方々にとって、これが今一番必要な言葉かもしれない。
 ついでに申し上げると、これも出典は定かでないが、環境問題を考える上でのスローガンとして「Today birds, tomorrow men(今日、鳥に起きていることは、明日、人間にも起きる)」というのがあるようだ。避難してこられた方々を受け入れる立場の私たちにとって、この言葉はこう言い換えるべきかもしれない。
「今日、避難者に起きていることは、明日、自分たちにも起きる」