日本はエネルギー後進国

 1978年、カーター政権のもと、アメリカで「PURPA法」という法律が制定された。PURPAとは、Public Utility Regulatory Policy Actの略で、日本語では「公益事業規制政策法」と訳されている。
 この法律の大きな柱は3つ。
○一定の条件を満たせば、誰でも小規模な発電所を創業できる。
(この法律により認定された新しい発電所は「適格発電所」と通称される)
○既存の大手電力会社は、この新しい発電所から電気の買い取りを要求された場合、拒否できない。
○各州に公益事業委員会を設け、買電価格など、法律の運用に必要な細目を決める。

 この法律の施行により、アメリカのエネルギー事情はどのように変わったか。

 カリフォルニア州アルタモント峠には7000基の風力発電機が設置され、その総発電容量は70万キロワットに達する。この「ウィンドファーム」の経営主体は、既存の発電会社とは何の関係もない複数の新興企業である。
 同じカリフォルニア州サクラメントの市営電力公社「ランチョー・セコ原子力発電所」は、地元サクラメント市民の自由意思による住民投票で、1989年、廃止が決定された。スリーマイルと同タイプのこの発電所は、75年に建設されてから、わずか14年の寿命だった。
代わって住民が選択したのは太陽光発電。原子炉建屋と地続きの隣接地に今はソーラーパネルが並ぶ。経営にあたっているのは、自治体と地元住民の出資により設立された第四セクターサクラメント市営電力公社」である。
 同州には、モハーベ砂漠の「シグマⅡ太陽熱発電所」などもある。
これら、いわゆる再生可能エネルギーを利用した「適格発電所」は、既存の大規模発電所の50分の1にも満たない規模だが、すでに全米で3200社を超え(1995年時点)、そのほとんどが高い収益を得ている。日本では、再生可能エネルギーによる発電は、まだまだコストがかかり、その割には発電量が少なく、収益性が悪いというのが常識となっているようだが、アメリカの常識はまったく逆のようだ。

 なぜこのような小規模発電所が、大容量発電と競合しても高い収益を上げられるのか、原発を廃止してまで再生可能エネルギーに頼るかたちで、なぜ停電もなく電力を賄えるのか。そのからくりはこうだ。
 PURPA法は、適格発電所から買電のオファーがあった場合、既存の大電力会社はそれを拒否できないとしているが、そのときの買い取り価格は「アボイデッド・コスト(避けられたコスト)」によって定められるとしている。つまり、これらの適格発電所が新設されなかったら、その分の電力需要を賄うために、既存の大電力会社は火力なり原子力なりの熱源による発電所を新たに建設しなければならないことになる。しかし実際には、これらの適格発電所があるおかげで、新規発電所建設にかかるコストは「アボイドされた(避けられた)」ことになる。したがって、大電力会社が適格発電所の電気を買う場合、新規発電所建設コストも含めた自社の発電コスト以下の価格であってはならない、というわけだ。
 カリフォルニア州は、適格発電所からの買電価格の変動を抑えるために、年ごとの予測値を決め、同時に最長30年に及ぶ長期買電契約を認めることにした。その契約期間の最初の3分の1は、州政府が定めた予測値によって実際の買電が行われる。このようにして、適格発電所側にとってはるかに有利な条件が設定されたのである。
 このPURPA法の制定によって、発電所の熱源が火力や原子力から再生可能エネルギーへとシフトしただけでなく、地球温暖化、環境汚染、有限資源の消費などが抑止され、数値として設定された「アボイデッド・コスト」をはるかにしのぐ価値がもたらされ、いわば全地球規模での「コスト回避」が達成されたのである。

 「日本の発電量の30パーセントは原子力に依存しており、コストがかかり発電効率も悪い再生可能エネルギーがまだ実用的でない現状では、真夏のピーク需要が年々増大する中で、その需要を満たすためにさらなる原子力拡大が必要である」というようなレトリックを駆使する我が国の電力関係機関が、いかに地球環境や資源保護といった国際的目標に背を向け、私利私欲に走っているかがよくわかる。

 ドイツ、デンマーク、スイス、オランダといったヨーロッパ諸国でも、再生可能エネルギーへの転換が精力的になされている。ドイツのノルドライン・ウェストファーレン州アーヘン市では、太陽光発電所からの買電価格は電気料金の10倍、風力発電は1.3倍で買電されるようになった。これは、再生可能エネルギーへの転換を促進させるという目的だけでなく、電力消費を抑えて二酸化炭素の排出量を減らすという国民的目標を達成するためでもある。つまり、まず達成すべき目標を先に設定し、その目標を達成するための最適の手法を考えていくという発想なのだ。

 「いついつまでに、何をどうする。そのために必要なことなので、今こうする」といった目標設定に関しても理由に関してもいっさい説明なしで、いきなり原発の停止要請を出すような、どこぞの国のリーダーとは大違いである。もちろん、大手電力会社が「オール電化」などという綱渡り的なやり方で電力需要を煽り、収益を増やそうとするのともまったく逆のグローバルトレンドであり、再生可能エネルギーへの転換を促進するためではなく、電力会社の不始末の尻ぬぐいを国民に押し付けるために電気料金を値上げしようとする動きとも、まったく正反対である。

 アメリカでPURPA法が施行されたのが1978年(スリーマイル事故の前年)であったことに鑑みるなら、日本はエネルギー政策において、確実に30年以上遅れをとっているし、今後も先進国に肩を並べる見通しはまったく立っていない。


※参考:「共生の大地」内橋克人著(1995年・岩波新書